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2007年9月13日 (木)

うなる狛犬

東京都大田区に新田神社があります。

時は南北朝時代。
新田義貞の第二子である新田義興は南朝方に立って、東国中心に転戦していたが、足利基氏の家臣・畠山国清の命を受けた竹沢右京亮と江戸遠江守の策略によって、多摩川の矢口の渡で騙まし討ちにあい、主従14名が最後を遂げた。
その後、義興の怨霊が出没したので、それを鎮めるために建てられたのが、この新田神社だと言います。

ちなみに、この時の従者たちを祀ったのが、新田神社から程近い十寄神社(旧名は十騎社)です。

この新田神社の境内に「うなる狛犬」というものが残されています。

阿像1体のみの狛犬で、そばにこういう解説があります。

義興公主従を矢口の渡しでおとしいれた足利基氏家臣の畠山一族の者、またその血縁者末裔が新田神社附近に来ると、きまって雨が降り、この狛犬がうなったという。
しかし、残念ながら戦災で一体が壊れてしまった。

新撰東京名所図会」では、この狛犬がちゃんと台座に載せられ社殿の前に存在している姿が確認できます。
ただし、設置年代までは明記がないのでわかりません。

ところで、伝説は伝説として、これが本当に「うなる狛犬」なのでしょうか。

実は、このようなタイプの狛犬は、19世紀以降に広まったものです。
しかも、実際には、このタイプの狛犬としてもそれほど古い時期のものではないと思えます。
「新撰東京名所図会」の写真に写っている以上、明治44年よりは前のはずですが。

一方の新田義興が矢口の渡で討たれたのは、正平13年(1358)のこと。

神社の鎮座年代はわかりませんが、いずれにせよ、狛犬そのものの年代とは随分と隔たりがあります。

となると、考えられることは二つ。

1)「うなる狛犬」伝説は、この狛犬に対して生れたものではなく、これとは別に本来のものが存在している。

2)「うなる狛犬」伝説は、この狛犬が造られ設置された19世紀以降になって生れたものである。

上記の神社の沿革を書くための参考にした新田神社の公式サイトでは、こんなことが書かれています。

その後、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の不思議な篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めた。また、源内は江戸一族の策謀を卑劣なやり方として、この新田神社の縁起をもとに浄瑠璃・歌舞伎「神霊矢口渡」を脚色し、これが当時の江戸っ子の気質と合ったかのように、大変うけて爆発的な大当たりとなり、江戸庶民の新田詣が始まるのである。現在でもこの「神霊矢口渡」の一部分が各地の歌舞伎場などで上演されている。

源内の生没年は享保13年(1728)~ 安永8年(1780)。
また、「神霊矢口渡」については、歌舞伎辞典というサイトに

1770年(明和【めいわ】7年)に江戸で人形浄瑠璃【にんぎょうじょうるり】の作品として初演されました。平賀源内【ひらがげんない】が福内鬼外【ふくうちきがい】というペンネームで書いた作品で、1794年(寛政【かんせい】6年)に歌舞伎に移されました。

という記述があります。

こうしてみると、18世紀終わり頃に作られた歌舞伎が、19世紀に入っても人気を保ち、それにあやかって「うなる狛犬」の伝説も出来た、という見方が可能なように思えます。

文献などで、「うなる狛犬」伝説が、どこまで時代をさかのぼりうるか確認しないとわかりませんが、状況としては、この見方が妥当なように思えます。

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