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2007年9月23日 (日)

陵墓の石獣

墓葬と言えば、皇帝や王侯の墓の参道に並べられた石獣像は、中国における対となった神獣の代表格でしょう。

少し古い本になりますが、「中国皇帝陵の起源と変遷」(楊寛 学生社 昭和56年)によると、そうした石獣像のうち現存する最古のものは前漢の武帝の陵墓である茂陵の培塚である霍去病の墓設置されたもののようです。

ただし、著者はこれを特殊な例として、制度化されるのは後漢になってからだと考えています。

  

著者によれば、後漢の初代皇帝・光武帝の陵墓の参道には象や馬の石像があったことが、「水経注」の記述から推測できると言います。

同じ「水経注」では、安邑県長の尹倹の墓地には石碑・石柱・石獅・石羊が置かれ、さらにその門闕の前には獅子が相対して置かれていたという記述があるとのことです。

後漢代には参道の石像の形式が整っていたことがうかがえます。

そうした中の≪辟邪≫≪天禄≫については既に触れました。

ここでひとつ気になるのは獅子の位置付けです。

楊寛に従うなら、「水経注」からは

皇帝の陵前には石象、太尉の墓前には石駝・石馬、長水校尉の墓前には石天鹿が置かれたが、太守の墓前には石牛・石羊・石虎のみであり、さらに県長の墓前には石獅・石羊のみであるという状況があった

いうことが読み取れるというのです。

もちろん、これは皇帝陵には獅子がないということではなく、身分が低くなるほど用いてもよい神獣の種類が限られるということを言っているのでしょう。

つまり、後漢代には獅子は身分が低い者でも使用できる程度のものとしか扱われていなかったことになります。

これは、後世の獅子の立場に比べると、扱いが悪い気がしてなりません。

たびたび参照する「中国獅子雕塑芸術」によると、時代はずっと下がりますが、明代には石獅が置かれるのは皇帝陵のみで、臣下の墓前には石馬、石羊、石虎と石刻の武将文臣だけがあり、石獅は置かれないと言います。

明を開国した朱元璋(太祖洪武帝)を助けた功臣も例外ではないということですから、それだけ獅子の地位が高いということになります。

この差はなんなのでしょう。 

後漢代にはまだそれほど重視されていなかった獅子の位置付けを高めたのは仏教ではなかったかと、いま私は考えています。

仏教の伝来、より正確に言うならば仏像の伝来が、中国の獅子におけるセカンドインパクトになったのではないかと思うのです。

そこで、次に中国への仏教の伝来について見てみます。

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