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2007年9月17日 (月)

考古資料に見るライオン・獅子の図像

中国にライオンが伝来したのが前漢代だとします。
しかし、生きた本物のライオンよりも、ライオンの図像の方が、より伝わりやすいはずです。
実際、実物のライオンより、ライオンの情報の方が先に中国に達していたらしいことに、前回触れました。

では、考古資料に具体的に残るライオン、あるいは獅子の図像のうち、最初期のものにはどんなものがあるのでしょうか。

前回触れた「中国獅子彫塑芸術」で紹介されている最も古いものは、建和元年(147年)の銘を持つ『山東嘉祥武氏祠石獅』です。
これは年銘がはっきりしている獅子像では最古のもの。
しかも、「師子」の語が刻まれているため確実に獅子と呼べるもので、なおかつ石工の名(孫宗)がわかる上に、価格までわかる(銭四万)という、極めて稀な資料です。
こちらに不鮮明ながら写真があり、中国語ですが解説もあります。

やはり前回触れた「楽園の図像」では『四川省渠県・沈府君石闕』『洛陽出土画像塼』の2点に言及がありますが、手持ちの資料でもweb上でも資料の画像などは見つけられませんでしたので、具体的にどのような形でライオン、あるいは獅子が図像化されているのかは、よくわかりません。
ただ、『沈府君石闕』に関しては延光年間(122~125年)に建てられたとする文章がありました(ただし、その文章には「獅子」についての言及はないのですが)。

手元にある他の狛犬関連の書籍を見ても、あとはおおむね魏晋南北朝のいわゆる≪六朝文化≫以降の資料が紹介されています。

したがって、明らかにライオン、もしくはそれから転じた獅子と確認できる遺物は、上記のように後漢代の、それも2世紀のものまでしか現存していないようです。

しかし、ユーラシアの西側でそれ以前に数千年にわたって蓄積されてきたライオンの図像が、東アジアに伝わったのがようやく紀元後というのでは、少し納得がいきません。

何か違う形で東アジアに伝わっていないのでしょうか。

次はそれを考えてみます。

注)上杉千郷先生の「狛犬辞典」では、『武氏祠石獅』の年代を建安十四年(209年)としていますが、「中国獅子彫塑芸術」では、その年銘を持つのは『四川雅安高頤墓石獅』となっています。
もっとも、「狛犬辞典」ではP22、P33、P59の3ヶ所でこの獅子に言及し、P33では建安十四年としているものの、他の2ヶ所では建和元年としています。
他の資料でも『武氏祠石獅』が建和元年、『高頤墓石獅』が建安十四年とされているので、P33のみ書き間違えたようです。
揚足を取るようですが、念のため指摘しておきます。

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