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2007年9月21日 (金)

ライオンの東アジアへの伝来

では、最初に設定した

 

A)ライオンの東アジアへの伝来

ということについて、ここまでの事をまとめてみます。

  • ライオンについての知識は前漢代の初期には伝わっていた。 
  • 実物のライオンも前漢の武帝時代には伝来していたと思われる。
  • しかし、現存するライオンあるいは獅子の図像は、後漢までしか遡れない。 
  • それに対して、ライオンを含む合成獣であるグリフィンの図像は、少なくとも戦国時代には受容されていた。

ということになります。

 

これだけの材料から、付随して設定した

 

a)ライオンから獅子への変化

 

という問題について言及するのは無理がありますが、以下は私の無根拠な仮説ということで書いてみます。

 

ライオンの図像あるいは情報は、おそらくグリフィンと同時期には中国に伝わっていたと思います。

ただ、中国では、生物界あるいは図案上で、ライオンが担うべき位置にトラが存在していました。

ライオンの図像が残っていないのは、それが中国でトラに置き換わったからではないでしょうか。

一方、類似する存在がいなかったグリフィンはそのまま受け入れられました。

それはやがて中国化して、一般に≪辟邪≫≪天禄≫といわれる有角有翼神獣になります。

その後に実物のライオンが中国に伝来しました。

その実物の姿から影響を受けて、有角有翼神獣の一部が変化して、よりライオン寄りの姿に作られるようになります。

それが後年、様式化して、中国式の獅子になったのではないでしょうか。

  

この仮説が成立するためには、≪獅子≫に先行して≪辟邪≫≪天禄≫とされる有角有翼神獣の図像が、前漢代にも存在していることが必要ですが、それに関しては「幻想動物の文化誌 天翔るシンボルたち」に咸陽博物館所蔵の漢代の≪玉辟邪≫が紹介されており、クリアできそうです(リンク先の画像のものは本で紹介されているのとは別の資料ですが、やはり前漢のもの)。

  

初期の≪獅子≫に有翼のものが存在していることも、この仮説の補強材料です。

と言うより、そこからこの仮説を立ててみました。

  

いかがでしょうか。

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