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2007年9月22日 (土)

東アジアにおける「神聖な対象と2体1対の神獣」の始まり

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B)東アジアにおける「神聖な対象と2体1対の神獣」の始まり

について見てみます。

中国でも新石器時代になると現実には存在しない想像上の動物が図像化され始めます。
それは動物に、単なる生き物以上のものを見るようになった証でしょう。

しかし、チャタル・ホユックの地母神像のようにはっきりと「神聖な対象と2体1対の神獣」という形式を取るものは見られません。
また、遺物の出土状況にも、そうした様子はうかがえないようです。

初期王朝の商(殷)代(およそBC18世紀~BC11世紀)には青銅器が多数製作されました。

そこには、饕餮(トウテツ)などの独特な怪獣の文様が描かれています。

そうした文様の中には、対を構成しているように見える図案もあります。

しかしながら、それらは、あくまで図案上、対称に配置されただけで、神聖なものと組み合わされて対になっているとは言えないように思えます。

ただ、興味深い文物もあります。

婦好墓出土の鉞には、中央に人間の顔を配し、その左右に神獣が2体描かれています(リンク先を下にたどって「婦好墓出土的大型銅鉞」とあるところのマークをクリックして下さい)。

婦好墓はいわゆる≪殷墟≫の遺跡のひとつで、出土文物に刻まれた甲骨文字の≪婦好≫から、第23代商王・武丁の夫人の墓とされています。

BC1312世紀の文物となります。

この鉞という青銅器は、実は処刑に用いる斧のことで、そこから転じて、刑罰を司る者=王の象徴となったものです。

「王」という漢字の原形は、この鉞を象形文字にしたものという説もあります。

左右の神獣(虎説が多いが龍とするものもあります)が口を開けて、この人面を飲み込まんとしているように見える図案であり、中央の人物は神聖な存在ではないのではないかとも思えます。

しかし、張光直はこの人物をシャーマンと考えています(「古代中国社会」東方書店 1994年)。

卜占に基づく神政政治が行われていた商王朝においては、それは王と同義と言えます。

それが正しければ、これは「神聖なものと2体1対の神獣」と言えることになりますが、やや微妙なところです。

ちなみに、口を開いた1対の神獣の間に何かがあるという図案自体は他にもあります。

同じ婦好墓から出土した「司母辛」方鼎には、鉞と同じ図案があるようですし、時代が下がって西周時代のもの(BC1110世紀)になりますが、陝西省淳化県出土の大鼎の耳(把手)には牛の頭部を思わせるような文様を挟んだ1対の龍が表現されています。

器物の文様の図案上ではなく、器物の配置の面から「神聖なものと2体1対の神獣」という状況が見られる文物はないのでしょうか。

手元には遺跡内での遺物の出土状況がわかるような図面や写真はごく僅かしかないのですが、紀元前のものではそれが明確に見て取れるものが見当たりません。

例えば、墓の場合、内部構造的には中心軸に対して左右対称と言えるような形になっているものは多いのですが、器物の配置という点では対称性が感じられないものが多いようです。

敢えて言うなら、広西壮族自治区の合浦前漢墓では、鳳凰と思われる鳥を象った『鳥形銅燈』というものが、棺の左右に対称に置かれた形で出土したようです。

また、グリフィンの影響として指摘した中山王墓の有翼神獣ですが、これは顔の向きを右にしたものと左にしたものが各2体、計4体出土したそうです。

これを2対と考えることも出来ますが、四方に配された可能性もあります。

そのあたりは発掘報告書で出土した際の配置を確認する必要がありますが、そこまでは調べませんでした。

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