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2007年9月24日 (月)

仏像の獅子

仏教は紀元前5世紀頃にインドで成立しました。

しかし、当初は偶像崇拝が堅く戒められていたため、仏像が造られるようになるのは紀元後1世紀のガンダーラ(現パキスタン)およびマトゥラー(現インド)において、とされています。

元々インドには野生でライオンが生息していましたから、初めから仏教にまつわる言葉や説話の中にライオンは取り込まれていました。

そのため、1世紀に生まれた仏像は、その時点で仏像の一部にライオンを取り込んでいました。

例えば、「インド・マトゥラー彫刻展」の図録に掲載されている1世紀の『仏伝「四天王奉鉢」』(イシャープル出土)では、仏陀の座る須弥座の下に2頭1対のライオンが浮彫りになっています。

さて、仏教の中国への伝来は紀元前後とされています。

その頃には仏像も生まれていますので、ほぼ同時期から仏像をともなっていてもおかしくありませんが、実際に仏教に関連する図像が見られるようになるのは2世紀以降のようです。事例もそれほど豊かではありません。

 

それが一気に広がるのは、3世紀から6世紀の魏晋南北朝の時代。

特に北魏(386534)では、太武帝による弾圧を別にすれば、仏教は保護され、大きく発展しました。

その成果が雲岡と龍門の石窟です(リンク先の一番上右側の写真が賓陽中洞で、下部に獅子がいる)

そこにも、仏像に伴なうライオン/獅子が見られます。

雲岡石窟の初期の大仏については北魏の皇帝たちの顔に似せたという説があるそうです。

北魏では仏教が国家との関わりを強く持ち、雲岡石窟も純粋に仏教施設というだけでなく、国家の威信を表現した施設でもあります。

仏と皇帝を同列視する発想があってもおかしくはありません。

それはともかくとして、大は石窟寺院の大仏から、小はミニチュアのような金銅仏まで、ライオン/獅子をともなった仏像は数多く生れました。
そうしたライオン/獅子を伴なう仏像の形式を受容することによって、獅子は崇高な存在のすぐ側にあって、それを守るものというふうに認識が改まった可能性があります。

その結果、神獣の中での獅子の地位が高まったということは考えられるでしょう。

中国には多様な信仰形態があり、現在においては仏教は盛んとは言えません。

歴史的にみても、中国における仏教の全盛期は隋・唐代とされ、宋代以降は、元代にチベット仏教(ラマ教)が盛んになったのが目立つ程度でしょうか。

しかし、一度高まった獅子の地位は仏教が力を失っても落ちることはなかったというふうに考えることもできるのではないでしょうか。

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