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2007年10月 1日 (月)

皇帝とライオン

「東方へのライオンの伝来」の章の初めに、文献に残る西域から中国へのライオンの献上について触れました。

その際、「原典にあたっていないので、それが牡なのか牝なのか、何頭か、献上後どう扱われたかなどについては、よくわかりません」と書きました。

その後、楊衒之「洛陽伽藍記」を見ていたところ、面白い逸話が掲載されていたので、漢代の話ではありませんが、ここでご紹介してみます(昭和49年に平凡社から刊行された「中国古典文学大系 第21巻」入矢義高訳に基づく)。

洛陽の永橋南道の東にあった白象坊と獅子坊という建物の由来について述べた部分に、獅子の献上の話が出てきます。

獅子は波斯国の胡王が献上したものである。献上の途上で、逆賊万俟醜奴に奪われ、賊営に留めて置かれた。永安(528~530)の末に醜奴が打ち滅ぼされて、やっと都に到着した。

献上を受けた北魏の皇帝・孝荘帝は

「朕は、虎は獅子を見れば必ずひれ伏すと聞いている。虎を捜し求めて試みよ」

と命じます。
そこで虎2頭と豹1頭が捕らえられ、送られてきたので、王宮内の庭園である華林園に獅子と虎と豹を集めます。

そこで虎と豹を獅子にひき会わせたが、どれも目を閉じてしまい、顔を上げて見ようとしない。

そこで今度は、以前から華林園で飼育している盲目の熊を連れて来るように命じます。

飼育係が盲の熊を牽いて来たが、獅子の臭いを嗅ぐと、驚き恐れて跳びはね、鎖を曳きずって逃げてしまった。帝は大いに笑われた。

さて、この獅子ですが、普泰元年(531)に広陵王(節閔帝)が即位すると、

「禽獣を囚にするは、則ちその性に違う。宜しく放ちて山林に還らしむべし」

つまり、野生動物をこんな園地で飼うなどというのは生物の本質に反しているから自然に返してやれ、という命を出したため、本国に送り返すことになりました。
しかし、ペルシアは遠いため、送り返す役目の者はたどり着くことができず、途中で獅子を殺して帰国してしまいます。
そこで命令違反として処罰されそうになりましたが、

広陵王は「獅子のためにどうして人を罰せようか」と言って、これを放免した。

という話です。

孝荘帝の話からは、当時、虎と獅子では獅子の方が上位であるとする考えが芽生えていたことがうかがえます。

一方の節閔帝の話は、仏教の行事のひとつである放生会を思い起こさせます。
仏教を重んじた北魏だけのことはあります。

この一連の話が、仏教が中国の神獣の世界の中での獅子の地位を高めた、という考え方に合致するように思うのは、少々牽強付会でしょうか。

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