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2007年10月25日 (木)

成立期の狛犬(1)

以上、狛犬の姿や形式が成立するまでの状況をごく簡単に見てみました。

それをさらに簡単にまとめるならば、獅子の姿や神獣の対形式は、日本と中国・朝鮮半島との交流が盛んになることで徐々に日本に伝わってきたが、それを決定的にしたのは仏教伝来であった、となるでしょうか。

それを踏まえて狛犬の成立について考えてみたいのですが、狛犬の起源やその成立については諸説あり、そのどれが正しいのか、正直なところよくわかりません。
そうした諸説について詳しく検討するのは、機会を改めることにして、とりあえずはあまり議論のないところから、概観を確認してみたいと思います。

衆目の一致するところ、「狛犬」という言葉の最も古い事例は、舞楽に関するもののようです。
『多度神宮寺資財帳』(延暦二十年〔801〕)という文献に見える「高麗犬壹頭」という記述が、それです。
舞楽に用いる頭、つまり「獅子舞の獅子頭」ならぬ、「狛犬舞の狛犬頭」というものが、遅くとも9世紀の初めには存在したわけです。
実際、同じ9世紀の『安祥寺資財帳』(貞観十三年〔871〕)という文献には「狛犬頭二面 同皮二面 同尾二支」と記されています。

これらに先立つ『西大寺資財帳』(宝亀十一年〔780〕)という文献には、「高麗楽器一具」という分類の記述の中に「大獅子一頭 頂に白木の角形あり」という記述が見られるそうです。
つまり、「高麗楽」に分類される舞楽に用いるものの中に、角がある「大獅子頭」があるということです。

≪角のある獅子≫であれば、しかも、「高麗楽」に属するとなれば、「狛犬」である可能性を考えたくなります。
もし、この「大獅子頭」を「狛犬頭」のことであると解することが出来るならば、実態としての「狛犬」が先行して存在し、「狛犬」という用語は後から、時期的には8世紀末の780年~801年に成立あるいは普及したとみることが出来ます。

これらの舞楽が、どのような姿で行われたかについては、大抵の場合『信西古楽図』という文献に描かれた図が引用されます。
しかし、「狛犬舞」を表しているとされる図には、実際には舞の名前が明記されていないので、はっきりと断言できるのかどうかは微妙ではあります。

一方、これらに対応する物的資料として、先に触れた正倉院の宝物中の獅子頭9点(奈良時代)、法隆寺に伝わる獅子頭1対(平安時代)が挙げられます。
しかし、この中に「狛犬頭」が含まれるのかは、はっきりしません。
角を決め手とするならば、正倉院の獅子頭にはいずれも角はなく、「狛犬頭」とは言い難いということになります。
法隆寺の1対のものは、頭上にそれぞれ宝珠と角を持ちますが、後補であると言い、したがって当初から角があったのかは不明です。

獅子舞は現在でも広く見られますが、狛犬舞は姿を消し、その実態ははっきりとしません。同様に、狛犬頭も実態は不明と言う他ないようです。

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コメント

liondog様
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