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2007年11月 7日 (水)

鎌倉時代(2)

さて、鎌倉時代には、狛犬に新しい要素が加わります。石造および陶製の狛犬の登場です。

まずは石造狛犬について。

石造≪狛犬≫と言いながら、狛犬や石造美術についての書物が紹介する最初期の例は、いずれも中国式の獅子です。
狛犬が中国から伝来した獅子から発展してきたと考えるならば、また、木造神殿狛犬が既に独自の形態を整えていることからすれば、ここで話を中国式の獅子に戻すのはやや釈然としませんが、先達に倣って、触れておきます。

最も有名なのは、何度か言及している東大寺南大門の獅子像です。

治承四年(1180)の平重衡による南都焼討ちによって被害を受けた東大寺の再建のため、当時の中国・宋から陳和卿らの工人が招かれます。
『東大寺造立供養記』という文献に、その工人のうち「宋人六郎ら四人」によって建久七年(1196)に「中門石獅子」などが製作されたことが記されています。
なお、「宋人六郎」とは、中世日本で一派をなした伊派と呼ばれる石工集団の祖である伊行末のことであると推定されています。

この獅子は、わざわざ石を中国から取り寄せて製作したことが記されており、中国の石で、中国の石工が製作した、事実上の外国製品です。
そのため、既に「阿吽」が定着している日本でありながら、左右双方とも口を開いた姿をしています。
派手な瓔珞を着け、尻尾が背中に張り付いて平面的に表現された平尾である点や、背中をそらし、前足を斜め前に突っ張った姿勢も、中国的な姿と言えます。

しかし、全体で見てこれとそっくりと言えるような類例は、手元の資料で見る範囲では中国には見当たらず、また、日本国内でも、これに追随したものは近代まで現れないという、孤高の存在とも言えます。

東大寺のものとは違う小型のもので、玉取り子取りになった中国式獅子が、北九州を中心に複数現存しています。
いずれも福岡の宗像神社観世音寺太祖宮上宮飯盛神社(*)などにあり、福岡以外では京都・由岐神社ものが知られています。
(*080120追記:ここに一緒に載せてしまいましたが、飯盛神社のものは時代は南北朝とされているようです)

このうち、宗像神社のものには「奉施入宗像宮第三御前宝前建仁元年辛酉藤原支房」との銘が背中に刻まれていると言い、1202年に納められたものとわかります。

これらは中国からの輸入品と見られていますが、何点かはそれを模したものではないかとされます。

面白いのは、そうでありながら、いずれも『阿吽』になっていることです。

ただし、宗像神社のものは、よく見ると、口を閉じているのは玉取りの側で、玉にからむ綬帯と呼ばれる紐を噛んでいるために口を閉じているのがわかります。
中国式の獅子には『阿吽』は基本的にないとされますが、このような子取りは口を開き、玉取りは綬帯を噛むというスタイルは、中国にも見られます。

その一方で、写真でみる限りでは、他のものは、玉取りが口を閉じているにも関わらず綬帯が明確には表現されていません。
これは、宗像神社のものは中国製で、他は日本で模倣されたものという可能性を示すのではないかと、ふと考えましたが、どうでしょうか。

もっとも、詳細に見比べると、子取りの側が口を閉じるものがあったり、玉を抱いているものと踏んでいるものがあったり、台座の形が違ったりと様々です。
当時の日本の狛犬には付随物は基本的にありませんし、台座のスタイルなども、日本にはないものです。
となると、日本で勝手にアレンジしたとは思われず、複数のパターンの獅子が伝来していたのではないかと思えます。

現存数を大きく上回る数の獅子像が伝わっていたのではないかと想像できます。

もちろん、石造の日本式狛犬も出現します。

「日本石造美術事典」(川勝政太郎 東京堂出版 昭和59年再版)では、京都・籠神社と奈良・都祁水分神社のものが挙げられています。

この他、「狛犬をさがして」(橋本万平 精興社 昭和60年)には佐賀県唐津市の八坂神社の狛犬も挙げられていますが、手元の資料やweb上ではどのようなものか確認できませんでした。

いずれも無銘で、年代は推定のものです。

このうち、籠神社のものに関しては非常に有名である半面、本当に鎌倉時代のものなのかについては疑問も持たれています。

それは、(1)小型のものが多い中、特に大型である、(2)当時は参道狛犬がまだなかった、(3)風雪が厳しいことに加え、大きな地震も繰り返し発生している丹後半島で、大きな破損もなく現代まで残っているのは不自然だ、というようなことからです。

ただ、東大寺南大門の獅子像は大型ですし、きちんと現存しています。

当初はあのような形で門内にあったとすれば、上の疑義を払拭することは不可能ではありません。

問題は、東大寺南大門のように狛犬を納められるような空間を両袖に持つような大きな門が、かつての籠神社にあったかどうかですが、それは確認できていません。

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