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2007年11月 3日 (土)

平安時代(2)

以上の他に、絵画作品として、「賢聖障子」の狛犬がよく取り上げられます。

これは御所の紫宸殿に設置されたもので、中国古代の賢聖名臣32人の絵が描かれたものです。
Shouji 紫宸殿の母屋と北廂を隔てる部分にあるもので、その中央に扉があり、その左右に獅子と狛犬が描かれています(左の写真は京博の図録より引用した仁和寺のもの)。
『古今著聞集』の記述を根拠に9世紀には「賢聖障子」の狛犬の絵が存在していたとする説がありますが、賢聖障子に狛犬が加わるのはもっと後だとする説もあります。それでも、平安時代末期には存在していたようです。

現存する古いものとしては、仁和寺に伝わるものが知られていますが、これは時代が下がるものです。
そこに描かれた姿は、非常に典型的なものであり、狛犬像の一つの基準と言えます。
ただし、それが当初から同じような姿だったのかは、定かではありません。

さて、これらは当然「殿上」にあるものです。

したがって、平安時代は「神殿狛犬」の時代と言えますが、注意すべき狛犬の存在が指摘されています。

『薬師寺縁起』に、天禄四年(973)に薬師寺が火災に遭い、南大門の東西にあった高さ七尺の師子形が焼失し、寛弘九年(1012)に再造を開始したという記載があるというのです。

現在でも、神社の随身門や寺院の山門の門内の両袖に狛犬が据えられている例が多くあります。
その古例としては、現在は東大寺南大門にある石製獅子像が有名ですが、指摘の通りであれば、それより200年以上前の10世紀の中頃には、そうした狛犬が存在していたことになります。

こうした門内の狛犬は、「建物の中」と判断されて、神殿狛犬のうちに含められがちです。
また、実態として、神殿狛犬同様の木製の狛犬であることがほとんどではあります。
しかし、神殿内のものが神聖なものに直接随っているのに対して、門内の狛犬は門獣として空間を守護しているので、その点では参道狛犬寄りで考えていいのではないでしょうか。

ところで、この狛犬の高さ七尺というのは、いささか大き過ぎる気がします。

時代によって基準となる尺は異なりますが、それでも1尺は少なくとも約30cmあります。
したがって七尺ならば2mを越えてしまいます。
京博の図録に掲載された6対の遺存例がおよそ50cm~85cmの大きさであることから見て、単独でその大きさというのは考えにくいものがあります。

これは台座も含めての大きさなのではないでしょうか。
もしそうだとしたら、御上神社や薬師寺の狛犬に見られる州浜座のような薄いものではない、ちゃんとした、しかも大きな台座があったことになります。

いろいろな点で興味深い事例と言えます。

以上をまとめると平安時代は

  1. 狛犬が形式を整えた時代である。
  2. 主たるものは神殿狛犬だが、門に据える門獣としての狛犬も存在した。
  3. その様式には「奈良様」と「和様」がある。
  4. 木製のものと金属製のものが見られる。
  5. 鎮子・香炉・灯明台のような調度用品の中に狛犬の形をしたものがあった。

となるでしょうか。

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