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2007年11月 2日 (金)

平安時代(1)

ここからは時代ごとの狛犬に関わる事柄をまとめていきたいと思います。

まずは平安時代。
8世紀末から12世紀末に及ぶ長い時代であり、文化的にも遣唐使廃止(894年)以前の国際的な唐風文化、その後展開した国風文化があり、末期には日宋貿易の活発化により再び盛んに外来の文物が流入してくるという、多様な時代でもあります。

狛犬は、この平安時代の初めである9世紀には成立していたと思われることには触れました。

先日は、「舞楽の狛犬」との対比上「調度としての狛犬」という言い方をしましたが、狛犬愛好家は、「参道狛犬」との対比からこれを一般的に「神殿狛犬」と呼んでいます。宮中や寺社の建物内に置かれた狛犬のことです。

もっとも御所は神殿ではありませんから、宮中も含めて考えるならば、清涼殿への昇殿を許された身分の者を「殿上人」と呼ぶことにちなんで、「殿上狛犬」と呼びたいと個人的には思っているのですが、まあそれはいいでしょう。

宮中では特に、天皇・皇后・中宮の御座の前に狛犬が置かれていたようです。
清涼殿・紫宸殿に置かれた狛犬は天皇に対するものですし、また、先日触れた『類従雑要抄』の記事は「后宮」、つまり皇后に対するものであり、『枕草子』のものは中宮に対するものです。

京都御所には、清涼殿の狛犬が現存していますが、これは時代的には平安時代までさかのぼれるものではないと考えられています。
そのため、現存する平安時代のものとされる狛犬はいずれも寺社のものです。

京博図録『獅子・狛犬』では、平安時代のものとして、京都・教王護国寺(東寺)の2対(ただし、そのうちの1対吽像が南北朝時代の後補)、石川・白山比咩神社、滋賀・御上神社、奈良・薬師寺、広島・厳島神社の6対が挙げられています。

この図録の解説文の筆者である伊東史朗氏は、『日本の美術279 狛犬』で、薬師寺のものを「奈良様」、白山比咩神社・御上神社・厳島神社のものを「和様」と呼んでいます。
名称は彫刻史におけるものなのでしょう。
その是非は別として、そうしたグループ分けができることは確かです。
大まかに言うと、「奈良様」のものは雄渾で胸を張り前を見据えた姿をしていますが(したがって東寺のものもここに含められます)、「和様」のものはおとなしげで首が短く顔がやや俯いた姿をしています。

基本的には、唐風文化の頃には「奈良様」、国風文化の時代には「和様」という対応関係が成立するのでしょうが、狛犬だけで判断する限り、現存数も少なく、明確な年代が特定できるものがないので、そこまで言い切れるのかどうか定かではありません。

これらはいずれも木製ですが、金属製のものもありました。

奈良・春日神社の古神宝の狛犬は銅製で、平安時代末期のものとされます。
ただし、現存するのは1体のみで、対になっていたのかどうかなどはわかりません。
役割も主として鎮子(御簾が舞い上がらないように押さえる重し)であっただろうと思われます。

また、『皇代記』に、後朱雀天皇が長暦三年(1039)に金銀の獅子・狛犬を伊勢神宮に奉納したとの記述があるそうです。
ただ、原典にあたっていないので、ここで言う「金銀」が、金属であるのか、木彫の上に箔押ししたものなのか、はっきりしません。

一方、10世紀後半に成立した『宇津保物語』には

夜に入りて続松参る。居丈三尺ばかりの白銀の狛犬、口仰げて八つ据ゑて沈を唐の細組して、続松に長く結ひて、夜一夜灯したり。(吹上)

大いなる白銀の狛犬四つに、腹に同じ火取据ゑて、香の合はせの薫物絶えず焚きて、御帳の隅々に据ゑたり。(蔵開)

という描写があります。
「吹上の巻」の描写は松明を立てるための灯明台として用いられた狛犬、「蔵開の巻」の描写は香炉としての狛犬、ということでしょう。
これは物語ですし、高価な香木である沈香を松明にする(吹上)というのは、いささか非現実的な行為ではありますが、灯明台あるいは香炉としての狛犬が存在していたことをうかがわせます。
そして、そうした用途である以上、ここで言う「白銀」は、金属であろうと思われます。

もちろん、それも含めて物語上の空想かもしれませんが。

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コメント

平安時代の狛犬の金属製の香炉が存在した事は古文から明らかであると思います。金属製の狛犬の香炉は後世にも多くありますが、平安時代の金属製の狛犬の香炉の研究報告はあるのでしょうか。また金属製の狛犬香炉の時代判別はどこにお聞きすればできるのでしょうか。

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