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2008年1月20日 (日)

室町時代(2)

一方、石造狛犬ですが、この時代になると遺存例が増えてきます。

手元にある狛犬関連書の中に取り上げられているものを拾い出してみると、在銘のものだけでも、以下のものがあります。

京都府京丹後市・高森神社 文和四年(1355)
山梨県市川三郷町・熊野神社 応永十二年(1405)
和歌山県高野町・河根丹生神社 応永二十六年(1419)
和歌山県和歌山市・薬徳寺 長禄三年(1459)
福井県あわら市・沢春日神社 永正十二年(1515)
福井県福井市・中手(樺)八幡神社 永正十八年(1521)
岐阜県山県市・十五神社 天文九年(1540)
岐阜県岐阜市・伊奈波神社 天正四年(1576)
岐阜県神戸町・日吉神社 天正五年(1577)
岐阜県神戸町・白鳥神社 天正六年(1578)
岐阜県各務原市・手力雄神社 天正九年(1581)
愛知県清洲町・石清水八幡宮 天正九年(1581)
愛知県津島市・津島神社 天正十年(1582)

この他、長野県軽井沢町・熊野神社のものは明徳年代(1390~1393)、佐賀県唐津市・熊野神社のものは天正年間(1573~1592)とされています。
さらに、京都府京丹後市・藤社神社、福岡県福岡市・飯盛神社、秋田県男鹿市・赤神神社、福岡県大川市・風浪神社の名も見えます。

上記のうち、高森神社のものと類似したものが丹後半島にいくつか現存しているようです。
南北朝期の石造狛犬ということになるでしょうか。

一方、岐阜県神戸町の日吉神社の狛犬は不破河内守光治の奉納による狛犬で、重要文化財ともなっている有名なものですが、これはこの時代を代表する、重要な狛犬=越前笏谷石製の狛犬です。

越前笏谷石は福井市の足羽山周辺で産出する青みがかった凝灰岩で、古くから越前地方の特産として様々に用いられてきました。
石の採掘は平成11年(1999)9月をもって停止されましたが、それまでおよそ1500年の永きにわたって掘り出されてきた石です。

この狛犬が重要なのは、日本のかなり広い範囲で見つかることです。
時代的には戦国から江戸初期のもので、私の知っている限りでは西は関西圏(大阪府守口市 津嶋部神社)、南は東海圏(愛知県岡崎市 犬頭神社)、そして東・北は青森(弘前八幡宮 熊野奥照神社 黄金山神社)でも確認されています。
日本で初めて生産地から離れて広域に流通した石造狛犬だと言えます。
しかも、日本の流通史上の一大エポックである河村瑞賢による東廻り・西廻り航路の開発以前にそうした状況が見られるという点で、狛犬史の枠を越えた価値のあるものです。

もうひとつ重要なのは、この越前笏谷石製の狛犬は、高さ20cmほどの小型のもの(上記の赤神神社のものなど)と70~80cmほどの大型のもの(上記の日吉神社のものなど)の2種類にはっきり分かれていることです。

ここまでに言及してきた狛犬は、基本的に神殿狛犬でした。
門獣としての狛犬像が社寺の山門・楼門内にあったことは指摘しましたが、現在見られる様な形での参道狛犬はこの時代までは存在していません。
もし越前笏谷石製の狛犬に大小があるということを、神殿狛犬用と参道狛犬用と考えることができれば、この狛犬の登場をもって参道狛犬の始まりとすることも出来ます。

しかし、残念ながら、何故そのように分かれているのかは、はっきりとはしません。
小型のものはまず間違いなく神殿狛犬として用いられたでしょう。
しかし、大型のものが参道狛犬とされたという明確な証拠は今のところ見つけられていません。
上記の日吉神社のものをはじめ、現状としては参道に置かれているものもありますが、初めからそうだったのかどうかはわかりません。

文献上確認できる狛犬で、興味深いものがあります。
豊臣秀吉が創建した方広寺の狛犬です。
これについては以前、本編サイトに書いたものがありますので、詳しくはそちらをお読みいただくとして、これが門内ではなく露座に置かれていたものなら、ここを参道狛犬の始まりと出来なくもありません。
しかし、現存しないうえ、決定的な証拠に欠けるので、何とも言えません。

以上、室町時代の狛犬についてまとめると

  1. 石造狛犬が増加する。
  2. 広域に流通する狛犬が現れる。
  3. 参道狛犬の発生を示唆するような資料が登場する。

といったところでしょうか。
現存資料や、報告のある資料が石造のものに偏っているので、時代の特徴もそちら寄りになってしまいました。

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