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2008年1月

2008年1月29日 (火)

江戸時代(1)

江戸時代は、石造を中心とした参道狛犬が全国に普及していった時代です。
戦乱が治まり、社会の安定を背景に庶民の経済力が高まったことが、その大きな理由だと思われます。

参道狛犬の萌芽と思われるものが、戦国時代の終わり頃から見られることは先に触れました。
しかし、参道狛犬は、そこから一気に普及したということでもありません。

新たに政治の中心となった江戸を中心とする関東では、日光東照宮のものが最も古い参道狛犬(寛永13年=1636)とされ、江戸近辺では目黒不動尊(承応3年=1654)、川越の仙波東照宮(明暦2年=1656)、江戸府中では赤坂氷川神社(延宝3年=1675)あたりのものが最初期のものとされます。
しかし、数を増すのは、18世紀に入ってからになります。

数的に見てみます。

「参道狛犬大研究 東京23区参道狛犬完全データ」(日本参道狛犬研究会編 ミーナ出版 2000年4月16日)を見ると、寄進年のわかる150対の年代分布は

1603~1650=0
1651~1700=6
1701~1750=17
1751~1800=25
1801~1850=64
1851~1868=38

となり、18世紀に増加して、幕末に向けて急増する様子が分かります。

一方、関西については小寺慶昭氏の調査を参照してみます。

まず大阪府下では氏の自費出版の「大阪府の参道狛犬 参道狛犬調査報告書1」(2003年3月)によると、寄進年のわかる623対の年代分布は

1603~1650=0
1651~1700=0
1701~1750=6
1751~1800=78
1801~1850=416
1851~1868=123

となり、17世紀の狛犬こそないもの、18世紀後半から急増し、19世紀には爆発的に増加することがわかります。

また、京都府下について「京都狛犬巡り」(ナカニシヤ出版 1999年11月1日)では江戸時代の狛犬は166対あり、その年代分布は

1603~1650=0
1651~1700=0
1701~1750=1
1751~1800=8
1801~1850=81
1851~1868=76

となり、大阪と比較して数こそ少ないもののほぼ同様な傾向にあることがわかります。

もちろん、古いものほど破損などによって廃棄される可能性が高くなりますから、その分現存数が少なくなるのは当然のことですが、それでも19世紀の設置数が群を抜いていることは確かでしょう。

この江戸と上方以外の地域についても、状況は類似していると思われます。
私の限られた見聞の範囲内では、江戸・上方以外では大抵の場合、本格的に参道狛犬が普及するのは19世紀になってからのように思えます。
これは、それ以前の狛犬がないということではなく、場所によっては18世紀の狛犬が多く見られる地域もありますが、全国的に目につくようになるのは19世紀からだということです。

ちなみに、手持ちの資料で、複数の市町村にまたがる一定以上の領域を網羅的に調査したデータがあるものから、10年刻みの表を作ってみました。
上記の数値の基準もそちらに記載しました。
ご参照ください

2008年1月20日 (日)

室町時代(2)

一方、石造狛犬ですが、この時代になると遺存例が増えてきます。

手元にある狛犬関連書の中に取り上げられているものを拾い出してみると、在銘のものだけでも、以下のものがあります。

京都府京丹後市・高森神社 文和四年(1355)
山梨県市川三郷町・熊野神社 応永十二年(1405)
和歌山県高野町・河根丹生神社 応永二十六年(1419)
和歌山県和歌山市・薬徳寺 長禄三年(1459)
福井県あわら市・沢春日神社 永正十二年(1515)
福井県福井市・中手(樺)八幡神社 永正十八年(1521)
岐阜県山県市・十五神社 天文九年(1540)
岐阜県岐阜市・伊奈波神社 天正四年(1576)
岐阜県神戸町・日吉神社 天正五年(1577)
岐阜県神戸町・白鳥神社 天正六年(1578)
岐阜県各務原市・手力雄神社 天正九年(1581)
愛知県清洲町・石清水八幡宮 天正九年(1581)
愛知県津島市・津島神社 天正十年(1582)

この他、長野県軽井沢町・熊野神社のものは明徳年代(1390~1393)、佐賀県唐津市・熊野神社のものは天正年間(1573~1592)とされています。
さらに、京都府京丹後市・藤社神社、福岡県福岡市・飯盛神社、秋田県男鹿市・赤神神社、福岡県大川市・風浪神社の名も見えます。

上記のうち、高森神社のものと類似したものが丹後半島にいくつか現存しているようです。
南北朝期の石造狛犬ということになるでしょうか。

一方、岐阜県神戸町の日吉神社の狛犬は不破河内守光治の奉納による狛犬で、重要文化財ともなっている有名なものですが、これはこの時代を代表する、重要な狛犬=越前笏谷石製の狛犬です。

越前笏谷石は福井市の足羽山周辺で産出する青みがかった凝灰岩で、古くから越前地方の特産として様々に用いられてきました。
石の採掘は平成11年(1999)9月をもって停止されましたが、それまでおよそ1500年の永きにわたって掘り出されてきた石です。

この狛犬が重要なのは、日本のかなり広い範囲で見つかることです。
時代的には戦国から江戸初期のもので、私の知っている限りでは西は関西圏(大阪府守口市 津嶋部神社)、南は東海圏(愛知県岡崎市 犬頭神社)、そして東・北は青森(弘前八幡宮 熊野奥照神社 黄金山神社)でも確認されています。
日本で初めて生産地から離れて広域に流通した石造狛犬だと言えます。
しかも、日本の流通史上の一大エポックである河村瑞賢による東廻り・西廻り航路の開発以前にそうした状況が見られるという点で、狛犬史の枠を越えた価値のあるものです。

もうひとつ重要なのは、この越前笏谷石製の狛犬は、高さ20cmほどの小型のもの(上記の赤神神社のものなど)と70~80cmほどの大型のもの(上記の日吉神社のものなど)の2種類にはっきり分かれていることです。

ここまでに言及してきた狛犬は、基本的に神殿狛犬でした。
門獣としての狛犬像が社寺の山門・楼門内にあったことは指摘しましたが、現在見られる様な形での参道狛犬はこの時代までは存在していません。
もし越前笏谷石製の狛犬に大小があるということを、神殿狛犬用と参道狛犬用と考えることができれば、この狛犬の登場をもって参道狛犬の始まりとすることも出来ます。

しかし、残念ながら、何故そのように分かれているのかは、はっきりとはしません。
小型のものはまず間違いなく神殿狛犬として用いられたでしょう。
しかし、大型のものが参道狛犬とされたという明確な証拠は今のところ見つけられていません。
上記の日吉神社のものをはじめ、現状としては参道に置かれているものもありますが、初めからそうだったのかどうかはわかりません。

文献上確認できる狛犬で、興味深いものがあります。
豊臣秀吉が創建した方広寺の狛犬です。
これについては以前、本編サイトに書いたものがありますので、詳しくはそちらをお読みいただくとして、これが門内ではなく露座に置かれていたものなら、ここを参道狛犬の始まりと出来なくもありません。
しかし、現存しないうえ、決定的な証拠に欠けるので、何とも言えません。

以上、室町時代の狛犬についてまとめると

  1. 石造狛犬が増加する。
  2. 広域に流通する狛犬が現れる。
  3. 参道狛犬の発生を示唆するような資料が登場する。

といったところでしょうか。
現存資料や、報告のある資料が石造のものに偏っているので、時代の特徴もそちら寄りになってしまいました。

2008年1月18日 (金)

室町時代(1)

「室町時代」としましたが、ここでは江戸時代直前の安土桃山時代までを一括して取り扱いたいと思います。
初期の南北朝時代、応仁の乱以後の混乱期、末期の戦国時代、そして織豊時代という多様な時代を一括するというのはいささか乱暴ですが、後に江戸時代が控えているということで、敢えてそうしました。

さて、ここまで中心的に扱ってきた木造神殿狛犬ですが、『日本の美術279 狛犬』では南北朝までしか言及がありませんし、京都国立博物館の図録『獅子・狛犬』では、実際には室町時代以後の資料も所蔵されているにも関わらず、鎌倉時代の事例までしか挙げられていません。
資料を十分調べていないため最新の彫刻研究がどうなっているのかは知りませんが、上記の資料を見る限り、日本の彫刻史では鎌倉時代を最盛期としていて、その後は爛熟と衰退という捉え方をされているようです。

ちなみに、『日本の美術279 狛犬』で挙げられている事例は、鳥取・姫宮神社(明徳三年〈1392〉銘)、広島・厳島神社、岡山・吉備津神社、兵庫・小柿天満神社(康応元年〈1389〉銘)くらいですが、実際には多くの遺存例があるようです。

金属製の狛犬としては、鎌倉時代で触れた高千穂神社に近い宮崎・向山神社にやはり鉄製のものがあるようです。

鎌倉時代には発掘された破片資料しかないということで事例を挙げなかった陶製の狛犬ですが、この時代には有名なものがいくつか知られています。

鎌倉時代のところで既に触れた愛知・伊勝八幡宮の伝世品には応永二十五年(1418)の銘があり、ひとつの基準となっています。
また、愛知・深川神社、千葉・香取神宮の伝世品はそれぞれ特徴的な姿をしているので、伊勝型と並んで、深川型、香取型などとしてひとつの類型をなしています。

茨城・鹿島神宮には伊勝型と香取型の両方が伝世しています。

この時代の特に有名なものは根津美術館が所蔵しているものです。
この狛犬は、千利休が香炉として愛用していたものだと言われています。
ただし、香炉として作られたわけではない狛犬の阿形を口のところで割って、香炉にしたものです。
香炉にしたのは千利休のある種≪力技≫と言えるでしょう。

ちなみに香取型の狛犬です。

この狛犬が一度でも神社に奉納されたことがあるのかどうかはわかりません。窯元からそのまま手に入れたものなのかもしれません。
だとすると、これは信仰物ではなく、純然たる調度であり、愛玩物ということになります。

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