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2008年2月 5日 (火)

明治以降(1)

明治政府は、地域ごとの独立性の高い幕藩体制にあった日本を、近代的な国民国家へと一体化していくにあたって、国民統合の理念のひとつに神道を置きました。
つまり国家神道です。

まずはいわゆる神仏分離令によって、長い年月にわたって習合状態にあった神道と仏教を切り離します。
狛犬については、これによって神社に属するものとして扱われることになり、寺院の狛犬は珍しいものになっていきます。

また、神社を統廃合して数を整理し、官幣社・国幣社・府県社・郷社・村社・無格社といった社格を与えて秩序化していきます。
当然その過程で狛犬が移動したり、失われたりしたと考えられます。

そして、民間信仰など雑多な要素を含んでいた神道を、記紀神話を軸に天皇を中心として再構成します。
その際に、祭式や儀礼も統一的なものにまとめ上げられていきます。
当然、神社の社殿形式や、調度類にも一定の規格が作られます。
そうした神道の画一化の流れは当然狛犬にも波及します。

小寺慶昭「京都狛犬巡り」には、神殿狛犬について内務省が「獅子は、開口して金箔を押し、毛髪には緑青を塗り、金の毛描を施し、狛犬は、閉口して銀箔を押し、毛髪には群青を塗り、銀の毛描を施す。何れも州浜型の台に据う」という基準を設けたと書かれています。
これは「類従雑要抄」などに見られる獅子・狛犬の定義を≪正統≫のものとして、標準化したということでしょう(角についての言及がないのは気になりますが)。
残念ながら出典は明示されておらず、私としては根拠となる法令や通達を記した文書を探す努力をしていないのですが、これによって、新しく整えられた神殿狛犬は、みな同じスタイルへと統一されたとということは、実際に神社を訪ねて拝殿を覗き込んで神殿狛犬の姿を見ると、何となく納得が出来ます。

石造参道狛犬については、そのような明確な≪指導≫が行われたのかどうか、定かではありません。
しかし、実際の状況として、同様のことは石造参道狛犬にも起こります。
それが、岡崎系狛犬の登場と普及、です。

愛知県岡崎市周辺はもともと石材業の盛んな所で古い狛犬もあるのですが、ここで言う岡崎系狛犬というのは、現代型と古代型と言われる2種類のものを指しています。

現代型は、小寺慶昭氏が「コマヤン」と愛称をつけたことで、狛犬愛好家には馴染みのある狛犬です。
明治時代末頃に、浪花系狛犬を祖形として生み出されたものと、考えています。
大正の初めには、まだ形式が安定していませんでしたが、大正の終わりから昭和の初めにかけて画一化が進み、これが全国に広がっていきます。

古代型というのは、滋賀県の大宝神社の鎌倉時代のものとされる神殿狛犬を模したものです。
現代型よりも後から生まれたようで、把握している限りでは昭和10年代以降、大量に普及していきます。

日本国内に広く普及したのみならず、大日本帝国が版図を広げ、それに従って神社が海外進出していくのにともない、岡崎系狛犬も海を渡ります。

満洲国の首都・新京の新京神社に現代型狛犬があったこと、あるいは台湾の鹿港神社に古代型狛犬があったことがわかっています。

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