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2008年2月 4日 (月)

日本人とライオン

日本人が、≪獅子≫という形でライオンを知ったのは、おそらく奈良時代以前のことです。

しかし、それは中国文化というフィルターを通過したものであって、現実のライオンとはかけ離れていました。

では、日本人が現実のライオンを知るのはいつ頃のことでしょうか。

生きたライオンということになると、幕末になるようです。

「江戸東京年表」(2002年 小学館)によれば、出典の明示はありませんが、慶応二年(1866)一月に「芝白金清正公(せいしょうこう)門前明地に、牝ライオンの見せ物が出る」との記述があります。

ただ、生きたライオンが日本に上陸する前に、西洋からの情報として、ライオンの図像が伝わっていました。

日本の洋画家の先駆けとして知られる司馬江漢の随筆「春波楼筆記」(文化八年=1811年)の中にこんな記述があります(有朋堂文庫「名家随筆集下」に収録されたものに基づく)。

源内はヨンストンスと云ふ蘭書は、五六十金の物にて、家財夜具までも売り払ひ、此書を得たり。此蘭書は、世界中の生類を集めたる本にて、獅子、龍、其外日本人見ざる所の物を生写にしたる事、かずかぎりなし。今は此書も所持したる者ありけるが、其頃はかつてなし。

平賀源内について書いた箇所の一部分です。
源内が家財を売り払ってまで購入した「ヨンストンスと云ふ蘭書」には、「日本人見ざる所」の獅子が生き写しにされていた、というわけです。

この「ヨンストンスと云ふ蘭書」とは、ヤン・ヨンストン(1603~75)の「動物図譜」という著書のことを指しています。

「動物図譜」は、幕府の御文庫にあったものを、八代将軍・徳川吉宗が命じて研究させたというもので、それによって蘭学が花開いた、重要な書物だということです。

平賀源内が家財を売り払ってこれを購入したのは明和五年(1768)のことだそうです。

この「動物図譜」を参照して描かれた『ライオン図』というものがあります。

小田野直武(1749~80)や宋紫石(1715~86)のものが知られています。

こうして見ると、実物のライオンが日本にやって来るより100年以上前に、海外から伝来した書物の図版によって、それまで親しんできた≪唐獅子≫とは違う≪獅子≫が存在していることを、日本人は知りはじめたということになるでしょう。

しかしながら、この、いわば≪本物の獅子≫についての情報は、日本人の獅子観、ひいては狛犬観を覆しはしなかったように思えます。

上記の小田野直武や宋紫石の作品に描かれた≪ライオン≫は、≪ライオン≫というより≪唐獅子≫に見えます。

また、参道狛犬が急増するのは、「動物図譜」が世に知られるようになった後の18世紀後半から19世紀のことですが、そのデザインの中に≪ライオン≫を感じさせるものは見られません。

江戸時代後半までに積み上げられた狛犬1000年の歴史は、≪本物≫をも駆逐するほどのものに成長していたということでしょう。

なんだか、幕末になって≪正しいキリスト教≫に接しながら、自分たちの信仰に固執した≪隠れキリシタン≫の姿のようでもあります。

ところで、現在はちょっとした神社ならどこでも手に入れることのできる『破魔矢』は、平賀源内が創案して新田神社で売り出されたのが始まりだとされているようです。

そんなふうに神社とも縁があり、しかも新し物好きでアイデアマンだった平賀源内が、手に入れた「動物図譜」を元に、「これぞ本物の狛犬!」と称して、ライオンそのものの姿をした狛犬を作らせていたら、ちょっと面白かったのにな、などと、ふと考えてしまいます。

もっとも、全国の神社にリアルなライオン像ばかりがゴロゴロ存在していたら、狛犬好きにはなっていなかったかもしれませんが。

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