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2008年2月 6日 (水)

明治以降(2)

さて、国家神道によって用意された狛犬画一化への道ですが、実際には、国家神道体制下の大日本帝国時代には、岡崎系狛犬が完全に主流を成すというところまでは到っていません。
皮肉なことに、新しく作られる狛犬がほとんど岡崎系一色(二種類あるので二色でしょうか)になってしまうのは、国家神道から自由になったはずの戦後のことです。

昭和10年代後半までは、それ以前からあるタイプの狛犬が根強く作られていました。

私の住む青梅市を例にとると、昭和15年までは江戸唐獅子型の狛犬が主流で、昭和16年から岡崎現代型に切り替わっています。
それどころか、再建という事情があるにせよ、昭和40年代になってもまだ江戸唐獅子型が造られています。

地域によって違いはあると思いますが、岡崎から遠く、特徴ある在地型の狛犬が存在していたところでは、同様のことが言えるようです。

また、岡崎系狛犬が生まれる前の明治時代には、加賀逆立ち狛犬(厳密には幕末成立かもしれませんが)や越前新式狛犬など、新たな狛犬のスタイルが生み出されており、それらも数多く造られていました。

なぜ国家神道が崩壊したはずの戦後に画一化が進んだのかについては、こんな想像をしています。

  • 戦争で石工も多く犠牲になり、技術やスタイルの伝承が途切れた。
  • 戦時中の反動から一般国民の神社への関心が薄れたため、誰も狛犬のスタイルにこだわらなくなった。
  • 反面、神社関係者には国家神道による神道の画一化への意志が残っており、一般国民の神社への関心が薄くなった分、そうした人たちの思惑が強く働いた。

もっとも、三点目については、神社関係者の中で狛犬への関心が必ずしも高くはないことを、経験上、感じていますので、ありえない事のような気もします。
現在の狛犬学の第一人者である上杉千郷先生は、自身が神職でもあり、かつて宮司を務めた長崎市の諏訪神社の狛犬に様々な特徴付けを行ってきました(あまり大きな声で言ってはいけないかもしれませんが、≪銭洗い狛犬≫など、上杉先生の発案であることをご本人から伺いました)。
そのことからすると、むしろ、神社関係者の狛犬への関心の低さが狛犬の画一化を招いたのかもしれません。

現在では、価格面の問題などもあり、国内の石材業者は≪取り次ぎ業者≫となって、狛犬の製造そのものは、中国などの海外に発注するという事態も生じているようです。

これは狛犬に限らず、日本の産業全体に言えることなのでしょうが。

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