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2008年6月25日 (水)

石工の名前

「日本全国獅子・狛犬ものがたり」(戎光祥出版 2008年5月)という本が出版されました。
狛犬研究の第一人者である上杉千郷先生が執筆された狛犬入門書です。

入門書といっても、結構専門的ですが、これから狛犬についてもっと詳しく知りたいという人には、いい端緒となる本でしょう。
ちょっとエラそうな言い方ですが。

さて、大変面白い本なのですが、ひとつだけどうしても気にかかる点があったので、僭越ながら、少し訂正させていただこうと思います。

書中に再三、東大寺南大門の狛犬(石獅子)が取り上げられています。
『陳和卿作・東大寺鎮座――最古の石造狛犬』という項目(pp77-78)も設けられています。
つまり、上杉先生はこの作者について、≪陳和卿≫であるとしておられるのですが、これは間違っています。

この石獅子は、項目のタイトルにあるように、広い意味での最古の石造狛犬の例として言及されることの多いものです。
その根拠となる文献は、上杉先生も依拠しておられる「東大寺造立供養記」というものです。
その中で≪陳和卿≫についてどのように記載されているかを見てみると、以下のようになっています(参照したのは「群書類従」)。

寿永二年二月十一日。大仏右御手奉鋳之。同年癸卯四月十九日始奉鋳御首。同年五月十八日丙戌。奉鋳既了。首尾経卅九日。前後及十四ヶ度終其功了。鋳物師大工陳和卿也。都宋朝工舎弟陳仏鋳等七人也。日本鋳物師草部是助以下十四人也。

つまり、寿永二年(1183)に行われた大仏の修理の際に、鋳造を行った≪鋳物師大工≫が≪陳和卿≫であるということです。

一方、問題の石獅子についての記述は、こうなっています。

建久七年。中門獅々。堂内石脇士。同四天像。宋人字六郎等四人造之。若日本国石難造。遣価直於大唐所買来也。運賃雑用等凡三千余石也。

建久七年(1196)に≪宋人字六郎等四人≫が大仏殿内の石造の脇士と四天像とともに獅子を製作したということです( これについて宋人の≪宇六郎≫としている文章を読んだことがありますが、これは『あざな』が≪六郎≫と読むべきものでしょう)。

≪陳和卿≫は寿永二年(1183)に大仏の修繕部分を鋳造し、≪六郎≫等が建久七年(1196)に中門の獅子を製作しているわけです。
その間には13年の年月の差があり、名前の伝わり方が違うことからしても、同一人物ということはありえないでしょう(実は、上杉先生もp114では『陳和卿が中国から石を運び中国の石工に彫らせたもの』と書いておられますが)。

では、この宋人の≪六郎≫が何者であるかということになりますが、これについて「日本史リブレット29 石造物が語る中世職能集団」(山川均 山川出版社 2006年8月)では奈良市の般若寺にある花崗岩製笠塔婆に刻まれた銘文に基づき、中世に一派を成した石工集団≪伊派≫の祖である≪伊行末≫である、としています。

銘文には、≪伊行末≫は中国の明州、現在の浙江省寧波の出身で、東大寺修築のために来日し、大仏殿石壇などの修築に功績を残し、没年は文応元年(1260)、笠塔婆はその一周忌に息子である伊行吉が造立したものである、ということが記載されているそうです。

であるならば、≪六郎≫=≪伊行末≫とするのは、妥当な判断であろうと思います。

それにしても、≪鋳物師大工≫である≪陳和卿≫は文献上に名が残っているにもかかわらず、石工である≪伊行末≫は≪六郎≫などという中途半端な日本名しか記録されませんでした。
没年から判断して≪伊行末≫の来日時の年齢がかなり若かったであろうことを割り引いても、このことからは当時における石工の地位の低さを感じます。
しかも、≪宋人字六郎等四人≫と書かれていながら、本名が推定できるのは≪伊行末≫のみだと言います。

そのただ一人である≪伊行末≫の名を、狛犬学の権威である上杉先生には、きちんと書き残して欲しかったな、というこの一点が、どうしても残念なのです。

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