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2008年6月13日 (金)

≪隼人の犬吠え≫説

≪ホノスセリ≫説の流れにある、と言うより、それと一体になったものが≪隼人の犬吠え≫説です。

江戸時代にまとめられた「狛犬考」にもすでに見られる説ですが、ごく最近、2004年に刊行された「福岡城の瓦師――菅原道真・櫛田神社・神殿狛犬――」(荻野忠行 創言社)でも、この説が大きく取り上げられています。

古代の宮中で、特定の行事にあたって、宮門の警護にあたる隼人が、群臣の出入りにあわせて、犬の吠えるような声を発することを≪隼人の犬吠え≫と言います。
この門を守って犬吠えする隼人の姿にちなんだものが狛犬である、とするのがこの説です。

昨日、「この『俳優』とは、単に演技をなす者ということを指すのではなく、ある行為をもって臣従し守護するというような意味を持ちます」と書いた『ある行為』とは、この犬吠えのことです。
実は、わざと触れなかったのですが、「日本書紀」では、火闌降命と彦火火出見尊の逸話について「一書に曰はく」として、以下の記述があります。

火酢芹命(注=火闌降命)の苗裔、諸の隼人等、今に至るまでに天皇の宮墻の傍を離れずして、代に吠ゆる狗して奉事る者なり。

これは言ってみれば、神話の一部ですが、歴代の天皇の記述としても、履中天皇の即位前紀に『近習隼人』と見え、清寧天皇元年には雄略天皇陵で哀号して死んだ隼人のことが見えます。
ただ、岩波文庫版「日本書紀」の補注では、実際に史実と受け取れるのは天武天皇十一年(682)に隼人が方物を貢したという記事以後と推測しています。
ちなみに、この時、大隈隼人と阿多隼人が相撲をし、大隅隼人が勝ったとの記述があります。

また、10世紀前半の延喜年間にまとめられた「延喜式」には「隼人司」の項目があり、宮中における隼人の役割や待遇について記載されています。
もちろん、そこには≪犬吠え≫についての規定も記されています。

さて、上記の本の著者である荻野氏はこう書きます。

「記紀」神話の朝廷守護をした後、八世紀初期に姿を消した阿多隼人の狗(犬)の吠声は、日本犬・日本狼・狐への信仰とも結びついていたにちがいない。阿多隼人は、天皇・皇后を守護し鎮魂する任務をもっていたのであり、隼人司が廃止されたので、獅子像の影響をうけて、犬像=狛犬・駒犬像として創作されたのではなかろうか。

「八世紀初期に姿を消した」というのは、著者によれば、その頃に阿多隼人が薩摩隼人に吸収されてしまうということのようです。
と同時に、それによって、≪隼人の犬吠え≫も姿を消すとお考えのようで、その代わりに登場したのが狛犬像であるというのが骨子のようです。

ただ、正続「群書類従」を見てみると、そこに収められている「六条院御即位記」に

源雅頼(右大弁)。入自会昌門東戸。于時隼人吠犬。

という記述が見出せます。
六条天皇の即位は永万元年(1165)なので、12世紀頃までは形式的にでも犬吠えは行われていたことになります。
となると、≪隼人の犬吠え≫の消滅によって、それが狛犬像に置き換わったという考え方は、少なくとも成り立たないことになります。

そもそも、この説の源流となっている海幸彦山幸彦の話は、構造を同じくする類話が日本から東南アジアにかけて広く分布していることが知られており、日本独自のものというわけではありません。
私には、広く伝わる伝説を用いて、大和政権による九州支配を正当化するとともに、隼人側には皇統につながる系譜を与えることでその地位を保証するという、極めて政治的な行為に思えます。

それを狛犬という存在の根拠にするのは、ドメスティックに過ぎるように感じられます。

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