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2008年6月15日 (日)

神功皇后と高麗犬

江戸時代にまとめられた「狛犬考」に、神功皇后にちなんだ説が紹介されています。
これを≪三韓の犬≫説としましょう。

これには複数のバージョンがあります。

「狛犬考」では、まず『或人説曰』として

神功皇后、三韓を退治の時、弓筈にて三韓は日本の犬也と岩石にしるし給ふと、其縁によりて三韓の犬、二六時中、宮内を守護するこころにて、狛犬を宮内に用いるといへり

また、『一説曰』として

神功皇后ノ三韓ヲ征伐シ玉ヒシ時、高麗ニイタリ玉ヘハ、犬来タリテ先手ヲセシヨリ、軍旅ススミテ其功ヲトゲ玉ヒシユヘニ、其形ヲ作リテ高麗犬ト名付ケ、神社ノ守護神トナセリトイヘリ

と書かれています。

さらに、「神像と獅子狛犬の話」(高木豊秋 昭和12年)では

(五)神功皇后三韓を討従へ給ひ、高麗人の率ゐ来つた犬に門戸を守らしめられしに起こる。故に獅子に作るのは誤りである。

(七)或は、神功皇后の御時、三韓降伏して、永く犬の如く臣属するを誓つたので、その形を神前に留めたと云ふ故事に基き、これを高麗犬と呼ぶこととなつた。

ともあります。
ちなみに(六)と(八)には「狛犬考」の二説と同じことが書かれています。

いずれにせよ、神功皇后が三韓を討伐して、これを従わせたことから、≪高麗犬≫となった、ということになります。

さて、「日本書紀」にも、もちろんこの『神功皇后の三韓討伐』は記載されていますが、上記のような話は出てきません。
「日本書紀」では、神功皇后の軍がやって来ると知った新羅の王は戦うことなく、

「今より以後、長く乾坤に与しく、伏ひて飼部と為らむ。(略)」

と言って降伏し、それを知った高麗(高句麗)・百済の王も、

「今より以後は、永く西蕃と称ひつつ、朝貢絶たじ」

と言って降伏しています。

新羅王の言う『飼部(みまかひ)』は、大雑把に言えば馬の飼育係であり、高麗王・百済王の言う『西蕃(にしのとなり)』は、つまり西方の蛮族ですから、どちらも犬ではありません。

ではどこから出た説なのか、ということになりますが、残念ながら、私は古文献に詳しくないので、よくわかりません。

ただ、『神功皇后の三韓討伐』は、もちろん伝説ですし、その点からすると、後付けの起源説としか思えません。

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