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2008年7月13日 (日)

日本への伝来

≪獅子舞≫は、伎楽の一部として中国から伝来したと考えるのが一般的だと書きました。

「日本書紀」(岩波文庫版)によれば、推古天皇二十年(612)に

又百済人味摩之、帰化けり。曰はく、「呉に学びて、伎楽の儛を得たり」といふ。則ち桜井に安置らしめて、少年を集へて、伎楽の儛を習はしむ。是に、真野首弟子・新漢済文、二の人、習ひて其の儛を伝ふ。此今、大市首・辟田首等が祖なり。

とあり、厳密な史実と言えるかどうかは分りませんが、これが伎楽の伝来の記録とされます。

この伎楽の全容はわからないそうですが、後にも触れる「教訓抄」という文献には、伎楽について説明する以下のような文章があります。

此舞者聖徳太子之御時。従百済国被渡舞師。(未摩子云。)所伝置伎楽曲也。而古老云。楊梅神ノ御相伝ト云。(可尋之。)
先禰取。(盤渉調音。)次調子。(謂之道行音声。或道行拍子曰云々。)是以為行道。立次第者。先師子。次踊物。次笛吹。次帽冠。次打物。(三鼓二人。銅拍子二人。)
先獅子舞(略)
次呉公(略)
次迦楼羅(略)
次波羅門(略)
次崑崙(略)
次力士(略)
次大孤(略)
次酔胡(略)
次武徳楽(略)

参照したのは「群書類従」で、( )は小文字の注です。

最初の注にある『未摩子』は「日本書紀」に言う『味摩之』のことでしょう。
全体の初めに獅子舞があり、以下各種の踊りが行われるという形式のようです。

完成した形式として伎楽が伝来したのならば、獅子舞の伝来もその時であったと言うことができるでしょう。

一方、現存する最古の獅子頭は、正倉院に残る九頭で、天平勝宝四年(752)の東大寺大仏開眼会に用いられたものと推定されています。
この獅子頭は、伎楽用のものと考えられていますが、実際には伎楽そのものの内容は仏教とは特に結びつきのないものであったようです。

結局、伎楽はそうした信仰との結びつきが弱かったためか、次第に廃れていきます。
ただ、獅子舞だけが魔除けなどの宗教的な功能を持つことで生きのび、後には民衆の芸能にまで成長したということになるようです。

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