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2020年1月 2日 (木)

真夏の夜の夢――穏田神社の狛犬はどこから来たか(6)

6.台湾説

 

ところで、徳水(亭)についての記述で思い浮かべるものがある。
振天府である。

 

振天府とは皇居の一角に存在する施設である。
近代日本にとって最初の本格的対外戦争であった日清戦争では、大量の戦死者・戦病死者が出た。
戦争の終結後、明治天皇が彼等の死を悼み、この歴史上に残る大きな出来事を未来永劫に記念するため、戦死・戦病死した全将兵の肖像と名簿を収め、あわせて日清戦争で使われた軍装や兵器、戦利品(分捕品)を展示するための施設として建設された。
こうした施設は、その後、日本が戦争を行う度に建設されることが慣例化し、懐遠府(北清事変=義和団事件)、建安府(日露戦争)、惇明府(第一次大戦・シベリア出兵)、顕忠府(済南事変・満州事変・上海事変・日中戦争・太平洋戦争)が建立された。一括して御府と呼ばれる。

 

この振天府の付属施設として有光亭という四阿がある。
日清戦争の激戦地・威海衛での戦利品を用いて建築されたもので、柱梁は清軍が威海衛の港口の防御のために用いた防材を、周壁は清軍の砲台にあった石額を用いて築かれている。掲げられた「有光亭」の額は有栖川宮威仁親王が揮毫したもので、額の背面には宮内省文事秘書官股野琢による「有光亭記」が記されている。

 

有光亭と徳水(亭)は、威海衛の防材を用いている点が共通している。
皇居内に建てられている有光亭の方が優先順位が高いのではないかと思われるので、有光亭を建てた後、その余った材料で徳水(亭)を建てたのではないだろうかとも想像するが、証拠は見いだせないでいる。

 

この有光亭の前に台湾から献上された獅子像があったことを本編サイトで取り上げたことがある。
日清戦争終結から5年後の明治33年(1900)に台湾から振天府へ獅子像が贈られている。
下関条約で清国から割譲された台湾で、日本の統治に抵抗する勢力を武力鎮圧した台湾征討は日清戦争の最終局面と言える。
その台湾から振天府へと獅子像が贈られたのだ。

 

実は小松輝久侯爵には台湾との関わりがある。

 

小松輝久侯爵の父である北白川宮能久親王は、台湾征討の際、征討軍として派遣された近衛師団を率いて台湾に入り、その途中に台南で病死している。
陣中死したということで、台湾に作られた台湾神社や台南神社の祭神となった人物である。
その終焉の地たる台南から獅子像が贈られているのである。

 

振天府に獅子像が贈られているなら、小松輝久侯爵に台湾から同様に獅子像が贈られていてもおかしくはない。
あちらこちら流転したと考えるより、小松侯爵邸に直接届いたと考える方が、いいのではないかという気もするのだ。

 

ただ、実際の中国風獅子像は台湾でよく見られるタイプの獅子像ではない。
また、北白川宮を継いだのは小松輝久侯爵の兄である第3王子の成久王だ。
台湾から何か贈られるとしたら成久王に対してだろう。

 

そう考えると、台湾ルートは可能性が低いかもしれない。

 

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