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2020年4月17日 (金)

伊東忠太の狛犬を追って(5)――靖国神社と弥生神社――

さて、靖国神社のすぐそば、北の丸公園に靖国神社型狛犬があります。

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日本武道館のすぐそばにある田安門の脇にある石段の下に、それはあります。
その石段を登った先にあるのは弥生慰霊堂です。

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弥生慰霊堂は、警視庁と東京消防庁の殉職者を祀る施設で、警察・消防版“靖国神社”とも言えます。

 

その靖国神社は、明治維新に伴う内戦である戊辰戦争を契機として、明治2年(1969)6月29日に建立された東京招魂社を起源に持ちます。
明治12年(1879)6月4日に社号が靖国神社に改められ、別格官幣社に列せられます。
そして、日本の敗戦を受けて、昭和21年に単立の宗教法人となり、今日に至ります。

 

一方、弥生慰霊堂にはもう少し紆余曲折があります。

 

弥生慰霊堂は、明治18年(1885)10月7日、弥生神社として創建されます。東京市本郷区向ヶ丘弥生町に建てられたので、弥生神社と称されたのでしょう。
明治20年(1887)に、芝公園に移転。施設も拡充されます。
しかし、明治23年(1890)4月には、鍛冶橋の警視庁本庁構内に移転し、さらに明治31年(1898)には青山墓地内の警視庁用地内に移転します。
その後、昭和6年(1931)10月に、麹町区隼町に再移転しています。
戦時下の昭和20年(1945)5月25日、東京への空襲で被災。
敗戦後、昭和21年(1946)3月に出された「国家神道の廃止に関するマッカーサー指令」により、弥生神社は廃止となります。
そこで、弥生廟奉賛会を設立し、昭和22年(1947)10月に弥生廟として現在地である北の丸公園に新たに建立されます。元々そこに警察関連施設があったからでしょう。
さらに、昭和58年(1983)に、無宗教化され、弥生慰霊堂と改称されます。

 

さて、弥生慰霊堂について調べているうちに、このような記述に出会いました。

 

「当時の記録をみると西南の役で戦死した警察職員は、招魂社(今の靖国神社)に合祀されたが、同じように国家社会のために一身を捧げた警視庁警察職員には、その功に報いるなんらの栄誉もなかったことが、弥生神社創建の直接の動機となったようである」
(「弥生廟に思う」小佐野基房『自警』昭和44年11月号 上記の来歴もこの記事を参照した)

 

西南戦争の際、元士族である西郷軍の抜刀攻撃により、徴兵制度で生まれた平民を主とする政府軍は苦戦を強いられました。
そこで、支援のため参加していた警察官により構成された警視隊の中から、剣術に優れた者を選抜して抜刀隊を編成し、西郷軍に対抗、戦果をあげました。
当時、警察官の多くは元士族であったため、こうした策が可能になったわけです。

 

この部隊の戦死者は東京招魂社、後の靖国神社に合祀されましたが、一般の殉職警察官の追悼施設がないので、弥生神社を設立した、ということです。
裏返せば、靖国神社の考える国への奉仕とは、通常の治安維持にはなく、戦争のみにあるということもできるでしょう。

 

もっとも、軍隊と警察は、どちらも武力を有する治安維持組織でありながら、しばしば対立することもある存在です。
ゴー・ストップ事件などはその象徴でしょう。
その意味では、靖国神社は軍隊への帰属意識が強く、警察に対しての意識は薄いということなのでしょう。
ちなみに、靖国神社の下部組織と言える全国の護国神社で、殉職警察官も祀っていることがサイトなどに明記されているのは、富山県護国神社・福井県護国神社・愛媛県護国神社・鹿児島県護国神社・大分県護国神社・栃木県護国神社くらいでした(2018年調べ)。

 

さて、戦後、北の丸公園に新たに建立された弥生慰霊堂(当時は弥生廟)の建設についての記述が「弥生廟奉賛会の中間報告」(川崎宗武 『自警』昭和22年5月号)の中にありました。

 

「▼一月十三日 警察練習所九段分校に於て役員会を開催、弥生廟建設敷地を風光絶佳の同所構内に決定、建設型式その他には、武本、川崎常任理事、岡山、日野常任幹事に於て研究することに決定。
次で工博伊東忠太先生、宮内省、神社本庁終戦連絡事務局に就て種々研究調査しました。」

 

弥生慰霊堂の狛犬には、何の記載もなく詳細が分らないのですが、この記述からすると、伊東忠太本人が何らかの形で関わっていた可能性があります。
であれば、靖国神社の狛犬と同型であることに不思議はありません。

 

国に尽くして殉職しても靖国神社には入れてもらえない警察・消防関係者を祀る施設に、せめて靖国神社と同じ狛犬を、という願いを持った人がいたとしても不思議はない、というのは私の妄想にしても、警察・消防版靖国神社を象徴する狛犬と考えることは出来るでしょう。

 

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