« 伊東忠太の狛犬を追って(2)――「善ちゃんの狛犬」の謎・続き―― | トップページ | 伊東忠太の狛犬を追って(4)――様々な伊東忠太狛犬・続き―― »

2020年4月15日 (水)

伊東忠太の狛犬を追って(3)――様々な伊東忠太狛犬――

ここで、伊東忠太がデザインした狛犬について、見直してみましょう。

 

伊東忠太は数多くの神社・寺院・宗教的モニュメントの設計に関わっており、それらに様々な動物・怪獣像を設置したことで知られています。
中でも獅子・狛犬像は数多く存在します。

 

概観して見ると、デザインには大きく二つのタイプが見られます。
一つは靖国神社のような細身のシャープなタイプ。
もう一つは、豊満なふっくらしたタイプ。

 

まずは靖国神社の狛犬に通じるデザインのものを靖国神社型狛犬として、追いかけてみます。

 

私が把握している限りでもっとも古い靖国神社型狛犬は、伊東忠太が設計して明治44年(1911)に完成した、静岡県袋井市にある可睡斎護国塔にあります。
くしくも、日露戦争の戦死者の霊を祀るために建設された施設という点が、靖国神社とのつながりを感じさせます。

 

P6078141

P6078116

P6078120

P6078123

その入口階段の柱の上に1対の狛犬が据えられています。
これは狛犬として独立したものと言うよりも、建築物に付随する装飾と呼ぶべきかもしれませんが、実体化したものとして、最初のものとは言うことができるでしょう。
靖国神社のもの同様、細い尻尾をしていますが、体の側面に流しており、また、なぜか右から吽―阿に設置されています。

 

このデザインの元は中国の獅子像だとされています。
伊東忠太が目にしたものと同じかどうかは分かりませんが、実際によく似たものが存在しています。
「中国獅」(積木文化 2006年)に掲載の北斉の獅子像と、出光美術館の「シルクロードの宝物」展の図録(出光美術館 2001年)に掲載の唐の獅子像を例示してみます。

P4114752

P4114774

狛犬として独立したものでは、新潟県弥彦村の弥彦神社のものが、もっとも古いと言われています。
明治45年(1912)に社殿が焼失した弥彦神社の再建にあたって、大正5年(1916)に設置されたもので、弥彦神社によれば「匠案 伊東忠太 原型 新海竹太郎 石工 酒井八右衛門」であるとされています。

P6228228

P6228230

P6228232

P6228238

P6228253
これについて「伊東忠太建築作品」には記載はありませんが、東京文化財研究所の「新海竹太郎関連ガラス乾板データベース」の中に大正5年製作の石膏原型の写真が存在します。

G_snk_40068

G_snk_40069


靖国神社のものと比べると、中国風の胸飾りをしており、肩のあたりに霊気のようなものが表現されています。
一方で、日本の狛犬に通じる毛並み豊かな尻尾をしており、吽像の頭上には角と考えられる丸い突起があります。

ちなみに、新海竹太郎は、靖国神社の狛犬の原型を作った新海竹蔵の伯父で、彫刻家です。
新海家は米沢藩の仏師の家系ということで、米沢出身である伊東忠太とのつながりが想像できます。

 

年代的には、この後、上杉神社、靖国神社と続きます。

 

また、「靖国神社鳥居竣成記念写真帖」には、「諏訪郡三澤村岡谷/熊野神社/昭和八年九月一日」という題箋の付いた写真があり、そこに狛犬が写っています。

Pc147667

これは、片倉館からは諏訪湖対岸の岡谷市川岸上にある熊野神社のことで、狛犬も現存しています。

P5257804

P5257805

P5257810

P5257816


これは、靖国神社のものを、台座の形状までそっくりに、しかし大きさは半分くらいに作ったものです。
ここは、片倉財閥の創立者・初代片倉兼太郎、二代片倉兼太郎の兄弟の生家のすぐ近くで、片倉家は熊野神社に隣接する真福寺の檀家でもあります。
残念ながら台座には何も刻まれておらず、詳しいことは分かりませんが、こうした事情から考えて、片倉家が靖国神社の狛犬と同じものを作らせて、奉納したものと推測できます。

 

 

« 伊東忠太の狛犬を追って(2)――「善ちゃんの狛犬」の謎・続き―― | トップページ | 伊東忠太の狛犬を追って(4)――様々な伊東忠太狛犬・続き―― »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 伊東忠太の狛犬を追って(2)――「善ちゃんの狛犬」の謎・続き―― | トップページ | 伊東忠太の狛犬を追って(4)――様々な伊東忠太狛犬・続き―― »