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2020年4月14日 (火)

伊東忠太の狛犬を追って(2)――「善ちゃんの狛犬」の謎・続き――

この狛犬には、もうひとつ、別の伝説があります。

 

長野県諏訪市に、靖国神社への鳥居奉納に協力し、狛犬奉納を行った片倉家の二代片倉兼太郎が昭和3年(1928)に作った“片倉館”という施設があります。
ここに靖国神社の狛犬の原型というものが残されています。

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前回触れた「靖国神社鳥居竣成記念写真帖」の中に「昭和八年四月七日/狛犬模型」という写真が含まれており、また、作業風景や集合写真の中に実際の狛犬と共に写り込んでもいます。
写真はモノクロですが、現在のものとは色が明らかに違います。
これは、後に着色したものでしょう。

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弾くと高い軽い音が響くので、石膏原型なのだと思われます。

 

これについて、片倉館では「靖国神社奉納/狛犬原型/高村光太郎作」と書かれた札を添えています。
しかし、「伊東忠太建築作品」を見ると、これが重大な勘違いであることがわかります。
そこには「狛犬 昭和八年三月片倉氏奉献 博士原案 新海竹藏彫刻 花崗石造」と記載されているのです。
もちろん、これは新海竹藏が石を彫ったという意味ではなく、原型を制作したということです。

 

新海竹蔵は、高村光太郎ほど世に名を知られてはいませんが、彫刻家として数多くの業績を残しています。
どこで名前が入れ替わったのかはわかりませんが、誤伝であることは間違いありません。

 

こうして見ると、靖国神社の伊東忠太の狛犬には、根拠のない伝説ばかりがつきまとっているようです。

 

ところが、そうでもないのではないかと思うものを見つけました。

 

山形県米沢市の米沢城跡に上杉神社があります。
そこに1対の狛犬があります。
それが、伊東忠太の狛犬なのです。

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境内に掲げられた由緒書に、以下のようなことが書かれています。

 

――大正八年米沢市の大火後同十二年米沢出身建築界の泰斗伊東忠太博士の設計により現在の神殿を始め一切を竣成したのである。――

 

補足すると、大正8年(1919)の米沢市大火によって社殿が焼失したため伊東忠太の設計により大正9年9月起工、大正12年4月に竣成した、ということになります。

 

狛犬の台座には「大正十二年四月」(1923)と刻まれており、再興された社殿の竣成時に、この狛犬も同時に設置されていたものと判断できます。

これも「伊東忠太建築作品」に掲載されており、「狛犬 一対 総高八尺二寸 稲田産小花崗石造 博士原案 深見宗一彫刻」と記載されています。確かに狛犬の台に「彫刻師 深見宗一」とあります。


そして、台座にはこれを彫った石工の名前も刻まれていました。

 

 石工 東京 瀧山善太郎

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「善太郎」となると、いやでも「善ちゃん」を思い浮かべてしまいます。
「善ちゃん」伝説は、靖国神社ではなく、この上杉神社の狛犬に対するものだったのでしょうか。

 

東京の石工なので、全日本参道狛犬研究会編「参道狛犬大研究――東京23区参道狛犬完全データ――」(ミーナ出版 2000年)を確認してみたところ、1対、瀧山善太郎の名が刻まれた狛犬があることがわかりました。
乃木神社の狛犬です。

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この狛犬の台座には「彫刻原型 長谷川栄作/同 石工 滝山善太郎」とあります。
面白いことに、上杉神社のものは伊東忠太デザインであり、こちらは長谷川栄作による原型がある、つまり、いずれも伝統的な狛犬とは異なる、芸術家によって独自にデザインされたものということになります。
瀧山善太郎は、そうした芸術家に重用された石工だったのかもしれません。

 

しかし、乃木神社の狛犬は昭和3年(1928)に設置されたものです。
つまり、上杉神社の後にも生きていることになります。

 

「善ちゃん」伝説では、狛犬を作り上げて死ぬわけですから、実は上杉神社の狛犬こそが「善ちゃん」の狛犬だとは言えなくなってしまいます。

 

とは言え、「善ちゃん」が瀧山善太郎なら、「善ちゃん」伝説にも、何かひとかけらの真実が含まれているように思えます。

 

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コメント

片倉館の「高村光太郎作」は前々から怪しいと思っていたのですが、伊東忠太の号が「紅雲」だったということで、どこかで紅雲→光雲→光太郎と誤伝されたんじゃないかと考えています。

ささげ@伊那様
コメントありがとうございます。
伊東忠太の号は気に留めていませんでした。
確かに、その連想はあるような気がします。
ご教示ありがとうございました。

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