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2022年6月 9日 (木)

東照宮と狛犬(7)

さて、日光東照宮、江戸城の各東照宮、仙波東照宮の関係性を見たところで、話を最初に戻す。

 

芝東照宮の先代の狛犬が、台座の銘の通り松平伊豆守信一の奉納によるものだとすると、その没年から考えて、寛永元年(1624)以前に奉納されたことになる。

 

日光東照宮の推定寛永十八年(1641)よりも、仙波東照宮の推定寛永十四年(1637)頃よりも、20年は前のことになる。

 

ここで思うのは、「石造参道狛犬として《再建》された狛犬の、先代も石造参道狛犬なのではないか?」ということだ。

 

だとしたら、日光東照宮・仙波東照宮よりも古い石造参道狛犬が江戸御府内に存在したということになる。
つまり、それは江戸御府内最古の参道狛犬ということになる。

 

また、江戸城内と違って、庶民が目にできた可能性がある。
時代が下がるが、「江戸名所図会」では参道狛犬を含めて安国殿が描かれている。
そして、本文には「四月十七日は、御祭礼にて、参拝を許さるるゆゑに、詣する人多し」と書かれている。
町人も参拝可能だったのだ。
これがどの時点からなのかはっきりしないが、安国殿成立の当初からであれば、江戸の町人が最初に目にした石造参道狛犬だった可能性すらある。

 

ところが、松平信一が狛犬を奉納したという記述が見つけられない。

 

「徳川実紀」に、松平信一の訃報記事が掲載されていることには最初に触れた。
そこには、戦での経歴や養子の件などは記述されているが、安国殿への狛犬奉納については言及がない。

 

国立公文書館に残る「御宮御記録抜書」には、安国殿は三度建てられていると書かれている(改行位置は調整した)。

 

「最初之御宮ハ元和二年十月御造営則今之開山堂是之
 貳度目之御宮寛永十一年御造営則今之黒本尊堂是之
 三度目之御宮ハ寛永十八年御造営則今之丸山之御宮是之」

 

ただ、同じ文書のこれより前の部分に「元和二年十月二日御作事御取掛り翌年春二月御成就□之」とあるので、ここでの造営年は着工年を意味しているようだ。

 

まとめると、最初の安国殿は家康の死の翌年、元和三年(1617)に竣工。
これは二度目の造営の際に移築され、増上寺の開山堂となった。
二度目は寛永十一年(1634)造営で、この時の安国殿は、後に増上寺の黒本尊堂となった。
三度目は寛永十八年(1641)造営で、それが現在のものだとある。

 

国立公文書館のデジタルアーカイブにある「三縁山安国殿ノ大権現御影」という文書によると、二度目の安国殿が「火ノ用心等覚束ナシ」という理由で、三度目の造営では境内の丸山という場所に移して新築している。

 

そして、それが現在のものであるということは、維新後に芝東照宮となった安国殿はそれだということになるわけである。

 

「江戸名所図会」の記述が、寛永十八年以降のことを言っているとしても、それでもなお目黒不動尊の狛犬が奉納されるよりも前の話なので、江戸の町人が見た最初の狛犬である可能性は出て来ることになる。

 

 

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