« 東照宮と狛犬(3) | トップページ | 東照宮と狛犬(5) »

2022年6月 6日 (月)

東照宮と狛犬(4)

さて、日光東照宮の狛犬に対しては、狛犬についての古典的名著「狛犬をさがして」(橋本万平 昭和60年 精興社)で、こう評価している。

「関東地方から以西、近畿、中国にかけての表日本で、最初に造られた石造狛犬は、日光の東照宮の徳川家康のお墓の前に一対置かれている寛永十三年(一六三六)に造られたものである。」
「神社に狛犬を置いてあるということを、日光で知った江戸の人達は、自分達の町の神社に狛犬を奉納するようになった。」

この説の妥当性について議論すべきではあるが、ここでは話は拡げない。

ただ、江戸の中心地、いわゆる江戸御府内では、現存する最古の狛犬は、目黒不動尊の承応三年(1654)のもので、日光東照宮のものよりは新しいことは確かだ。
そして、それ以降に、石造参道狛犬が一気に広まっていくことも事実ではある。

だが、目黒不動尊よりも古い狛犬が江戸御府内にあったかも知れない。
それは江戸城内だ。
一般人は立ち入れない場所ではあるが、そこに石造参道狛犬が存在した可能性がある。
しかも、それは現存している。

それが、埼玉県川越市にある仙波東照宮の狛犬だ。
仙波東照宮は川越の古刹・喜多院の境内に存在する。

既述のように、家康の霊柩は久能山東照宮から日光東照宮へと移された。
もちろん、一日では移動できないので、各所に立寄りながら進んで行くことになる。

「徳川実紀」の「台徳院殿御実紀」にルートと行程が記載されている。
それによれば、元和三年(1617)三月十五日に久能山を出発し、吉原・三島・小田原・中原・府中・仙波・忍・佐野・鹿沼を経て、四月四日に日光に到着している。

仙波での霊柩の安置所が喜多院だった。
家康の霊柩は23~27日の4泊5日の間、喜多院に留まっている。
その間に、喜多院の住職だった天海僧正が法会を行っている。
この縁から、天海が寛永十年(1633)に仙波東照宮を創建した。

江戸城内の狛犬の話がなぜ川越に飛ぶのか。

実は、仙波東照宮には石造参道狛犬が存在するのだが、この狛犬は手水鉢とともに明暦二年(1656)に江戸城から運ばれて来たものとされているのだ。

それについて考えるには、まず江戸城内の出来事を確認する必要がある。

« 東照宮と狛犬(3) | トップページ | 東照宮と狛犬(5) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 東照宮と狛犬(3) | トップページ | 東照宮と狛犬(5) »