« 話が長い狛犬(4) | トップページ | 東照宮と狛犬(2) »

2022年6月 3日 (金)

東照宮と狛犬(1)

故あって、芝東照宮の狛犬の情報を確認し直していた。
そして、もしかするととても重要なことを見落としていたのではないか、と思うに至った。

 

芝東照宮の狛犬は、天明八年(1788)の狛犬として知られている。
18世紀後半の江戸らしい、重厚で華美な狛犬だ。
台座には注連縄が表現され、装飾性も高い。

Img_2534

Img_2539

Img_2537

 

だが、正確に言うと、吽像の台座には、こう刻まれている。

P5242278

 

羽州上山城主
従五位下
松平山城守源朝臣信亨
再建之
天明八戊申年
正月吉祥日

 

つまり、この狛犬は再建されたものということになる。

 

そして、対する阿像の台座には、こう刻まれている。

P5242264

 

従四位下 初勘四郎
伊豆守源朝臣信一
奉献

 

馬鹿な私は、この人物が吽像に刻まれた松平信亨と共に、この狛犬を再建したのだと思い込んでしまっていた。

 

しかし、歴代伊豆守の中で、「従四位下」「勘四郎」「信一」という条件を満たすのは、この人物のことなのだ。

 

松平信一。

 

徳川家康に直接仕えた人物であり、三河一向一揆や長篠合戦にも参加している古参で、土浦藩の初代藩主などに任じられている。
「徳川実紀」の「大猷院殿御実紀」寛永元年七月十六日の項に、その死亡記事が出ており、経歴にも言及されている。
生没年は天文八年(1539)~寛永元年(1624)。

 

天明八年から見て、160年あまりも前に物故した人物なのだ。

 

芝東照宮は、明治の神仏分離以前に増上寺境内に存在した安国殿が前身だ。
その安国殿(家康の院号・安国院にちなむ)は、家康の死の翌年、元和三年(1617)に建立された。

 

つまり、台座の記載に従うならば、安国殿建立から信一が死ぬ寛永元年までの8年の間に、信一によって先代の狛犬が奉納され、それを信亨が天明八年に再建したということになる。

 

この没年が重要になる。

 

 

« 話が長い狛犬(4) | トップページ | 東照宮と狛犬(2) »

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 話が長い狛犬(4) | トップページ | 東照宮と狛犬(2) »