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2022年11月

2022年11月18日 (金)

プカラの牛(2)

「プカラの牛」巡回展の会場にあった小冊子には、プカラの牛のデザインの意味と色の意味が列挙されています。

 

デザインの意味
・出っ張った目=自分解析や現実に対する広い視野
・上に曲がった舌=教育。物事に対する適切な言葉と敬意
・渦巻=相互共生の原則。あたえたものが全て返ってくる
・鎖の輪=精神の統制。覚醒への過程
・取手=知識、精力や創造的エネルギー
・背中の穴=生命の誕生。水を使う仕事。種と受精
・荷鞍=自己実現のために人が払った犠牲

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色の意味
・黒色=自我・誕生
・緑色=経済繁栄・健康
・青色=信頼・忠誠・友情
・赤色=愛・満足感
・黄色=喜び・幸運
・天然色=家族の守護

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小冊子によると、デザインの意味は「主に愛情と子宝に関するもの」で、「取っ手は夫婦円満を表し、上部の穴は受胎に関連していると言われています」とあります。

 

前回、司祭の勧めで闘牛用の牛の装飾を取り入れたということに触れましたが、それに続けて、このような記述があります。

 

「教区内ではスペイン人の陶芸家による教室も開かれ、雄牛は額に十字架、背中に鞍をつけるようになりました。」

 

しかし、会場に展示されていたプカラの牛には十字架は見られませんでした。
そして、上記の説明のように、十字架には言及がありません。
十字架をスペイン人から推奨されたされたものの、現在では民族意識から排除したというところでしょうか。

 

屋根の上に飾ることについては、「家の安全を見守るだけでなく、幸運や繁栄をもたらすとも信じられ、新築祝いの贈り物としても好まれている」と書かれています。
そして、「屋根に飾るときには、必ずオスとメスをセットにする。つがいは夫婦をあらわすという」とあります。

 

確かに、展示されているプカラの牛は、男性器のあるものとないものがセットになっているようです。
ただ、女性器を表現したものはありませんでした。

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背中の穴を「生命の誕生」や「種と受精」と捉える上記の説明から考えると、背中の穴は女性器を意味すると考えることもできそうですが、全ての牛にあるので、少し強引かも知れません。

 

いずれにせよ、アンデスの伝統文化とキリスト教の混ざり合った新しい文化なので、どう捉えるべきかは難しいところです。

 

しかし、よく考えれば狛犬も外来文化を受容するにあたって、それを日本的に変化させたものと言える訳ですから、その意味でも「狛犬の隣人」と言えるでしょう。

 

2022年11月17日 (木)

プカラの牛(1)

2022年11月5日、「プカラの牛」巡回展というものを見学に行きました。

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「プカラの牛」とは南米・ペルーで見られる習俗です。
牛の姿をした陶製品で、様々な祈願や魔除けのために用いられるものです。
プカラとは、これを制作する陶器の産地の地名です。

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興味深いのは、瓦屋根の上に魔除けのために飾ることがあるということです。
しかも、その際には雌雄をセットにすると言います。

 

屋根に飾るという点では、沖縄の屋根獅子、台湾や中国南部で見られる屋頂風獅爺を思い浮かべます。
また、雌雄で対にするという点では一部の中国獅子や狛犬との共通性を感じます。

 

さて、展示を見に行く前に、いくつか知りたいポイントがありました。

 

・南米大陸に野生の牛は存在しないはずなので、「プカラの牛」はヨーロッパ人によって牛が持ち込まれた後に生まれたもののはず。具体的にはいつ頃、どのようにして生まれたのか?

 

・ヨーロッパ人との接触以前から、牛以外の動物を用いた同様の習俗は存在したのか?それともヨーロッパに由来する習俗なのか?

 

展示会場に関係者がいれば、こうした質問をするつもりでいたのですが、残念ながら無人で、ただ展示品が置かれているだけだったため、何も尋ねることが出来ませんでした。

 

かろうじて、会場で簡単な小冊子が配布されていたので、持ち帰りました。
以下、その小冊子に基づいて「プカラの牛」とは何かをまとめてみます。

 

「プカラの牛」の起源は19世紀以前に溯ると、小冊子にあります。
となると、逆に言えば、現在のような「プカラの牛」の成立は、20世紀に入ってからということになります。
その意味では新しい習俗です。

 

しかし、それはスペイン人によって導入された牛の姿をモチーフとし始めたのが、時期的に新しいということです。

 

アンデスの人たちには動物をモチーフとした「お守り」=「コノパ」の文化が存在していました。
元々は、リャマ・ビクーニャ・アルパカといった南米在来の動物をモチーフとした「お守り」があったのですが、ペルーに入ったスペイン人入植者(と小冊子にはありますが、要するに神父たちでしょう)から偶像崇拝の元凶として禁じられてしまいます。
そのため、キリスト教に由来するカーニバルの儀式用の牛をモチーフにすることで代用せざるを得なかったという事情があるようです。
その意味ではキリスト教による在来信仰の弾圧を免れる方便だったと言うことが出来ます。

 

元々は牧牛に似た装飾のないものだったようですが、現在のような装飾的な「プカラの牛」の誕生には、キリスト教の司祭たちが関与しているようです。
小冊子には、「1925年以降、プカラでは、既にクリスマスの祭りや闘牛の夕べが町の中央広場で開かれていました。そこで、初めて闘牛を見た司祭たちは、陶芸家たちに、シンプルで飾り気のない牛だけでなく、闘牛用の牛に使われる装飾などもつける工夫をするように勧めました」とあります。

 

こうした経緯をまとめれば、「プカラの牛」とは、アンデスの風習がキリスト教との接触によって変容しつつも、現代に生き残ったものと言うことが出来そうです。

 

 

 

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