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2023年11月

2023年11月26日 (日)

郷土玩具の狛犬(3)

埼玉県本庄市の久下東遺跡での狛犬の出土は、点数が少なく、物足りません。

 

もう少し出土事例がないものかと、web検索したところ、《広島城跡法務総合庁舎地点》という遺跡から狛犬が出土していることを知りました。

 

この遺跡は「ひろしまWEB博物館」というサイトによると、以下のように説明されています(mの数値は元サイト自体で欠字になっています)。

 

「広島城天守閣の南東約mに位置し、外堀(八丁堀)の一部と、外郭(広島城の三重目の郭)にあった武家屋敷地などからなります。ここは、18 世紀には「御用屋敷」という藩の役所があった場所で、江戸時代以前の建物や塀、井戸などの跡や、明治時代以降の軍関連の施設跡、陶磁器や木製品、銭貨などの大量の遺構や遺物を確認しました。
 また、江戸時代の広島城下で起きた最大の火災「宝暦の大火」(1758年)のときのものと考えられる火災処理の跡を、発掘調査として初めて確認しました。」

 

発掘は2005年6月17日~2007年2月2日に行われ、2009年に報告書「広島城跡法務総合庁舎地点」(広島市文化財団文化科学部文化財課)が出ています。

 

残念ながら、報告書は「狛犬」にフォーカスを合せて構成しているわけではないので、報告書のここだけを見れば出土した「狛犬」の全容がわかるというようにはなっていません。

 

そもそも、玩具類は器物類と違って研究の中心にはありません。
形態の変遷を通じて編年を考える形式学に、上手く落とし込めない部分があるからです。
出土点数も多くはないので、体系的に研究するのも困難です。

 

閑話休題。

 

そこで、「遺構と遺物」「遺物観察表」「遺物写真」「遺物実測図」の各章から、「狛犬」について抜き出し、重複を整理した結果、以下のようになりました。

 

(A)「狛犬」として紹介されているもの=13点
(B)「狛犬」とはされていないが、狛犬に関わるもの=3点

 

なお、恣意的な選択ですが、

 

(C)狛犬ではないが、参照すべきもの=4点

 

があります。

 

これらについて、詳しく見ていこうと思いますが、文字だけで紹介されているものは検討しようがありません。
「遺物写真」もしくは「遺物実測図」が掲載されているもの、(A)7点、(B)3点、(C)4点、を取り上げてみようと思います。

 

「遺構と遺物」の章の記述では、狛犬の出土した遺構の推定年代は18世紀前半から19世紀代とされています。
したがって狛犬も、一部は明治にかかる可能性はありますが、概ね江戸時代のものであることは確かなようです。

 

2023年11月19日 (日)

郷土玩具の狛犬(2)

2022年11月26日に、「狛犬さがし隊」に投稿のあった本庄早稲田の杜ミュージアムの展示を見に行きました。
確かに、出土品の狛犬が展示されていました。

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JR東日本の新幹線・本庄早稲田駅近くの久下東遺跡の発掘調査で、近世の土坑墓の中から狛犬の人形が出土したということが説明されています。

 

展示会場に調査報告書があったのですが、じっくりと腰を落ち着けて見ることは出来なかったので、後日、国会図書館まで閲覧に行きました。
「本庄市埋蔵文化財調査報告書第49集 久下東遺跡Ⅸ」(本庄市教育委員会 平成28年11月14日)によると、狛犬が出土したのは久下東遺跡第181号土坑です。
土坑からは早桶の底板片の他に17点の遺物が出土していますが、その内訳は以下の通りです。

 

かわらけ(灯明皿)2点
人形(狛犬)1点
金属製鋳型1点
金属製円盤1点
寛永通宝12点

 

狛犬についてだけ細かく書くと、報告書の判断では「瀬戸美濃系人形」とされ、高さ3.7㎝、最大幅3.3㎝、最大厚1.9㎝となっています。
「狛犬(阿形)。箱庭遊びの道具。」と書かれています。

 

遺物のうち金属製鋳型・金属製円盤・寛永通宝は、早桶の底板上から出土したということなので、棺桶に遺体と共に入れられたものなのだと思われます。

 

かわらけは棺外からの出土ですが、土坑の底付近からの出土なので、埋葬儀礼に関わるものなのだろうと想像できます。
出土状況の写真を見ると、2枚がベン図のような感じに重なって並べられており、意図的に置かれたように見えます。
棺桶を納める前にお供えでもしたのでしょうか。

 

ただ、肝心の狛犬は覆土中からの出土となっています。
つまり、墓穴に棺桶を納めた後、土を被せて埋め戻す際に、その土に混入していたものであるという可能性があるということになります。
そうなると、埋葬儀礼に関わりがあるとは言えません。
そもそも、この遺跡での狛犬の出土は他にはないようです。

 

ということは偶然の混入の可能性が高いということになります。

 

ちょっと残念です。

 

とは言え、時期は不明瞭ながらも、江戸時代の土坑墓からの出土ということは間違いないようです。

 

2023年11月12日 (日)

郷土玩具の狛犬(1)

かつて私は、郷土玩具には、なぜか狛犬が存在しないということを書いたことがあります。

それは手元にある各種「郷土玩具事典」類に、狛犬が取り上げられていないことが大きな理由でした。
さらに、30年ほど前に江戸時代の遺跡の発掘に関与していた頃、自分が調査に参加した遺跡の遺物にも、報告書執筆の際に参照した他の江戸時代の遺跡の報告書にも、出土した玩具類の中に狛犬が見られなかったことも理由でした。

しかし、2010年に富山市へ狛犬探しに出かけた際に、富山でかつて作られていた土人形の中に、狛犬が存在したことを知りました。

神社を巡りながら歩いているうちに、民俗民芸村という施設に行き当たりました。
その中に《とやま土人形工房》という場所がありました。

そこで、このようなことを伺いました。

富山の土人形は、江戸時代末期に始まり、一時は発展したものの、最終的に渡辺家のみが継承していた。
しかし、その当主が高齢で引退したために廃絶した。
そこで、これを何とか存続させようと、一般市民から受講生を募ってとやま土人形伝承会を結成し、製作を続けている。
それを展示販売しているのが、この《とやま土人形工房》である。

そして、以下のようなことをご教示いただきました。

「富山藩前田家は菅原道真を遠祖と仰いでいたため、富山では天神信仰が強く、土人形でも天神様が重要な位置にあり、それを飾り付ける際には、天神様の周囲に随神や狛犬、燈籠などを配置する。」

実際、現在の工房でも狛犬の土人形が作られていました。

ただ、由来からすると、愛玩用の玩具というよりは、神具・仏具の範疇に入るものでしょう。
また、実際にはどの程度時代を溯りうるのかについては、少し疑問を感じていました。

そんなことも忘れかけていた2022年に、Facebookの「狛犬さがし隊」に、ある投稿がありました。
埼玉県本庄市にある早稲田の杜ミュージアムで、出土品として狛犬が展示されていたというのです。
それも、江戸時代のお墓から出土したというのです。

それが確かなら、間違いなく江戸時代には狛犬の土人形が存在したということになります。

さらに言えば、狛犬を墓に副葬したのだとしたら、私が今まで知らなかった狛犬にまつわる習俗が存在していた可能性も浮んできます。

それは確認しなければならないと感じ、早稲田の杜ミュージアムまで足を運びました。


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