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2023年12月17日 (日)

郷土玩具の狛犬(6)

では、以上をまとめてみます。

(A)のうち、実際は狐であると考えられる(3)を除く6点は、施釉軟質陶器製のものが3点、素焼きのものが3点に分かれます。

施釉軟質陶器の(1)(6)(7)は、それぞれ特徴にバラツキがあり、大きさでは(1)(高さ3.2㎝)と(6)(7)(4.1~4.3㎝)が異なり、台座の有無では(6)だけが台座付きになっています。
(6)と(7)は同じ土坑から出土していながら、特徴が異なっています。
(6)(7)は18世紀前半、(1)は年代不明。

(2)(4)(5)は、紹介する際に私の判断で「無釉」と書きましたが、要は素焼きです。
大きさでは(2)(5)は共に高さ3.7㎝に対し、(4)は高さ5.5㎝で、2つに分かれます。
一方、すべて台座付きです。
(2)(5)は18世紀後半(2が1780~90年、5は1770年代)、(4)は19世紀第1四半期とされているので、(4)がやや新しいことになりますが、大きな差はありません。

これだけを見ると施釉軟質陶器の方が古く、素焼きの方が新しいようにも見えますが、点数が少ないので、何とも言えません。

(1) がやや小さく、(4)がやや大きいですが、概ね高さ4㎝前後の小さなものです。
そうした点からすると、いわゆる箱庭玩具であって、実際的な仏具・神具ではないでしょう。
また、蒐集し愛玩するような鑑賞物としての玩具でもないでしょう。

興味深いのは(B)グループです。
(8)(9)(10)はいずれも、天神像に狛犬が付随しているものです。
獅子・狛犬が日本に伝来した頃の金銅仏の形態を思い出させます。

(8)は天神が露座、(9)(10)は祠に入っています。

(8)は頭部が欠損した状態でも残存高が6.1㎝あり、(9)は5.8㎝、(10)は3.7㎝です。
(10)は箱庭玩具でしょうが、(8)は観賞用かも知れません。
ただ、仏具・神具ではないでしょう。

(8)(10)は18世紀後半以降と見られていますが、(9)が出土したのは広島の宝暦大火(1758年)の処理土坑と考えられていますので、18世紀前半までのものということになります。

広島城跡の出土品だけの判断ですが、狛犬単独、もしくは狛犬を付随する人形は、18世紀に入ってから普及したもので、主として箱庭玩具となるような小型のものであり、様々なタイプが併存していた、とまとめられるでしょうか。
つまり、産地や作者は複数存在したのでしょう。

これに埼玉県本庄市の久下東遺跡の1点も交えて考えると、東国の庶民の墓地からも、西国の武家屋敷からも発見されていることになり、かなりの広がりがあったと言ってもいいのではないでしょうか。

事例は少な過ぎますが。

そして、こうした「狛犬」が、「郷土玩具事典」類で取り上げられてこなかったのは、好事家が愛玩するような「芸術性」を備えていなかったからなのでしょう。

歴史の隙間にこぼれ落ちてしまった狛犬と言えます。

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