狛犬の源流

2007年9月12日 (水)

異獣を対にすること

(B)の『神聖な対象と2体1対の神獣の組合せの成立と展開』ということに付随して

b)1対の神獣を異なる2種類の神獣で構成したり、口の開閉で区別をつけるという形式の有無。

という検討課題を挙げました。

ここで挙げた異なる神獣を対にしたり、口の開閉で区別をつけるという形式について、私は以前は日本の狛犬に特異な特長だと思ってきました。

しかし、「グリフィンの飛翔」という本には、非常に興味深い事例が紹介されています。

例えば、円筒印章の図案の中に、ナツメヤシの上にとまる鳥を間に挟んでスフィンクスと鷲グリフィンが向かい合って表現されているものがあります(出土地不明 BC14世紀)。

そして、この遺物について、

グリフィンとスフィンクス、それにナツメヤシ=生命の木という組合せは、この頃からシリア・パレスティナ・キプロスなど、東地中海で広く登場するモチーフとなる。

と書いています。

あるいは、シリアのラス=シャムラ遺跡から出土した金碗があります。

BC14世紀中頃の遺物とされるこの金碗には、動物の文様が二重の帯状に描かれています。

本に掲載された文様の展開図を見ると、内側の文様帯にはナツメヤシを様式化した『生命の木』を挟んで向かい合う牛が描かれています。

一方、外側の文様帯には、数種類の動物が描かれていますが、その中心に『生命の木』を挟んで向かい合う有角の獅子グリフィン(本では留保して有角有翼獅子と表現していますが)と有翼のスフィンクスがいます。

これは異獣を対にしているとは言えないでしょうか。

その気になって見ていくと、他にも気になる遺物・遺構が紹介されています。

上エジプトのテーベにあるアハヘテプ1世の墓から出土した斧には、片面に鷲グリフィンが描かれ、その反対の面にはスフィンクスが描かれています(本ではグリフィンの面しか写真掲載はない)。

これもグリフィンとスフィンクスを対にしていると言えるでしょう。

また、北メソポタミアのティグリス川の支流の河畔の岩壁に描かれた「マルタイの浮彫り」というものが紹介されています。

アッシリアのセンナケリブ王(在位BC704BC681)と思われる人物の先導で7柱の神が動物に乗って行進しているという図柄です。

動物に乗ると言っても、背にまたがるのではなく、立ち上がった神の左右の足の下に1頭ずつ動物がいるという姿になっています。

つまり、それぞれに2体の神獣が伴なった状態です。

そのうち、先頭のアッシュル神(アッシリアの最高神)は右足を獅子グリフィン、左足をムシュフシュに乗せています。

また、6番目のアダト神(嵐の神)は獅子グリフィンと牡牛の上に乗っています。

ちなみに7番目にイシュタル神が2頭のライオンの上に乗っています。

これらも異獣を対にした表現と言えるのではないでしょうか。

つまり、主流をなす表現とは言えないけれども、古代オリエント世界でも異獣を対にする場合があるということです。

しかし、こうした形式が直接的に日本の狛犬に反映しているとは思いません。

むしろ、異なる神獣を対にするという考え方は、ユーラシア大陸に広く見られる、普遍的なものであると捉えた方が良いように思えます。

一方、口の開閉ということでも、面白い指摘が紹介されています。

B・ゴールドマンという研究者は、新アッシリアの印章では鷲グリフィンは口を閉じているが、獅子グリフィンは必ず口を開けている、と指摘しているというのです。

この場合、鷲グリフィンと獅子グリフィンは対で表現されているわけではありませんが、そうした元々の神獣が持っていた造型上の特徴を引き継いだ上で異獣を組み合わせることがありうるのではないかという示唆を与えてくれます。

つまり、≪阿吽≫という概念が存在しなくても、口を開閉させることはありうるということです。

これも、日本の狛犬に直接何かの影響があるということは言えませんが、ここで取り上げておくことには意味があるのではないかと思います。

  

なお、(a)の『ライオンの東アジアへの伝来のあり方』は別に扱うこととして、『狛犬の源流』についてはここで終えたいと思います。

2007年9月10日 (月)

門獣としてのライオン類

神聖なものに直接付随するようなものではなく、宮殿や神殿、都市や城塞という一定の領域を守護するかのように設置された2体1対の神獣も存在します。

時代はずっと下がりますが、トルコのボアズカレ(かつてのヒッタイトの都ハットゥシャ)に残る獅子門(BC14世紀)や、そのボアズカレに近いアラジャホユックのスフィンクス門(BC14世紀)が「獅子」(荒俣宏 集英社 2000年)という本に紹介されています。

写真を見ると、ボアズカレの獅子門は左右の門柱に直接ライオンが浮彫りにされています。

一方、アラジャホユックのスフィンクス門は、現存する姿としては門の体をなしていませんが、通路を挟んでスフィンクスが対になっています。

ギリシアのミケーネにも獅子門BC13世紀)と呼ばれる遺構があります。ただし、ここではライオンは門を挟んで設置されるのではなく、門の上部に2体1対で表現されています。

Photo ギザの三大ピラミッドのそばにあるスフィンクスは有名ですが、あれは単体です。対を成す相方がいた痕跡が残っているという話も聞きません。

しかし、もちろんエジプトにも2体1対の形式は存在していて、エジプトを旅したGingerさんによると、ハトシェプスト女王葬祭神殿(BC15世紀)の入口の階段には、第1の階段に対になった獅子のレリーフが、第2の階段には対になったグリフィン像があるそうです(掲載した3枚の写真もGingerさんの撮影)。

Photo_2

ライオンがらみでなければ、ペルセポリスの万国の門にある有翼人面の牛(ラマス)の巨大な像(BC5世紀)がよく知られているでしょう。

以上のように、古代オリエントでは、紀元前数千年という古い時代から、2体1対で神聖な存在や場所を守る神獣が広く見られたことがわかります。

私は古代オリエントの文化や歴史・地理に疎いので、例示した資料の出土地や時代による特徴、相互間の関係性などについて考察できませんが、何しろ、地域的にも時代的にも広範であることだけは示せたのではないかと思います。

Photo_3

敢えて言うならば、神聖なものに直接付随するライオン像は神殿狛犬に、一定の場所に対して設置されるライオン像は参道狛犬に、なぞらえることが出来るでしょう。

そして、神殿狛犬が先行し、後に参道狛犬が広まっていくように、神聖なものに直接付随するライオン像の方が一定の場所に対して設置されるライオン像よりも先行しているようにも見えます。

偶然の一致でしょうが、人間の意識のあり方として興味深いことに思えます。

2007年9月 9日 (日)

神聖なものに従う神獣

神聖なものに従う2体1対の神獣という形式を持つ資料をいくつか例示してみましょう。

特に、その中のライオンもしくはライオンを構成要素とする合成獣(スフィンクスやグリフィンなど)を伴うものを取り上げてみます。

チャタル・ホユックの地母神像に近いもの、つまり、直接神像に従っているものをまず挙げてみます。

○ナルンテ女神像

年代・出土地などの明記はない。女神の座る玉座の側面にライオンが浮彫りにされている。

(「古代メソポタミアの神々」 2000年)

○クノッソス宮殿

BC15世紀。ギリシア・クレタ島。宮殿玉座の間の壁画に玉座を挟んでグリフィンが描かれている。直接というと若干違和感はあるが、類似のものとして挙げておく。

○神像台座

BC9世紀。トルコ・カルケミシュ遺跡。神像を載せる礎石に従者に牽かれる2頭のライオンが浮彫りされている。ライオンを連れている従者は頭部がワシとなったグリフィン魔人と呼ばれる姿をしている。

(「グリフィンの飛翔」林俊雄 2006年)

   

web上でこの資料の画像がないか探していたところ、トルコのアンカラにあるアナトリア文明博物館の所蔵品にいくらか似たようなものを見つけた。ヒッタイトの資料のようだが、それならばこの資料よりは古いものとなる。
なお、ライオンの間にいる人物は≪グリフィン魔人≫ではないようだ。

Photo ○神の座

BC4世紀。ティル地方出土。玉座の左右にスフィンクスがいる。玉座には神自身ではなく石碑が表現されている。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年 写真の引用元も同じ)

一方、器の紋様や、印章の図案の中に、神や聖なる樹を挟んで対になったライオン類が表現されているものが、数多く見られます。

Photo_2 ○一角獣と聖樹の容器

BC28BC27世紀。ステアタイト製。聖なる樹を挟んで一角獣が向かい合っている。一角獣は山羊の体+ライオンのたてがみ+ライオンの尻尾+コイル状の太く真直ぐな角という合成神獣。

(「古く美しいもの」中近東文化センター 1993年 写真の引用元も同じ)

○埋葬用の甕

BC13BC12世紀。マリ1号墓出土。三日月の上にバラが表現された紋章があり、それを挟んでライオンが線刻されている。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年)

   

こうしたものも、神聖なものに従う2体1対の神獣という形式に含めてもいいでしょう。

2007年9月 5日 (水)

神獣を対にする事の始まり

さて、まず(A)の『野生のライオンの生息域とその地におけるライオンの図像化の状況』について、その一端を簡単に見てみました。

しかし、それだけでは狭義の≪狛犬≫および≪獅子≫の源流が古代オリエント方面に求められる、というに過ぎません。

広義の≪狛犬≫には、「狛犬の定義」で見たような一定の形式があります。

そうした形式が、日本以外の場所では見られないのであれば、狛犬は日本独自のものということになりますが、日本以外でも見られるのであれば、狛犬は大きな文化潮流の中の一形態であるということになります。

ということで、(B)の『神聖な対象と2体1対の神獣の組合せの成立と展開』という部分を見てみます。

「古代メソポタミアの神々」(三笠宮崇仁監修 岡田明子・小林登志子著 集英社 2000年)という本に、アナトリア(現在のトルコ)のチャタル・ホユック遺跡で出土した地母神の像が紹介されています(アナトリア文明博物館蔵)。

 

紀元前7000年頃から紀元前5500年頃にかけての遺跡とされるチャタル・ホユックは、農耕・牧畜が組織的に行われた最初期の遺跡だそうです。

 

「豹を従えた女神像」と呼ばれているこの女神像は、いままさに子供が生まれてきた瞬間を表現しており、椅子に座った女神の左右には豹が1頭ずついます。

この本ではこの女神像に限らず考古資料の年代を明記していないのですが、紀元前6000年頃の遺物のようです。

この女神像では対になっているのは豹としていて、ライオンではありませんが、『神聖な対象と2体1対の神獣の組合せ』という点からは注目に値します。

また、この本では

のちの豊穣女神に獅子が付き従う例の先駆けと考えられる

としています。

これは、シュメール・アッカドの豊穣と戦いの女神イシュタル(イナンナ)がライオンを随獣とすることを指しているのでしょうか。

本には具体的な資料の提示はありませんが、図像としてはライオンの上に立つイシュタル女神という形式が知られています。

さて、神聖なものに従う2体1対の神獣という形式が、ここに始まるものかどうかはわかりません。

これ以前から単体の神像と神獣像をそのように配置していたとしても、そのままの姿で出土しない限り、それとは認識できないからです。

ですから、遅くとも、この時期までには成立していた、としか言えません。

しかしながら、この形式が少なくともおよそ8000年の歴史を持つことは確かです。

人類が文明というものを生み出した、そのごく初期から存在するものということになります。

狛犬は、そうした長い歴史を引き継ぎ、ユーラシアの東端で発展した一種族というふうに考えるべきでしょう。

2007年9月 4日 (火)

初期の図像化されたライオン

ライオンの生息地であり、人類文明の発祥地でもある西アジアを中心とした一帯では、早い段階からライオンは図像化され、当然、その実例も数多く見出せます。

あいにく私は外国語が苦手で、海外の文献には全く手が出ません。それでいて、日本語の論文も渉猟するどころか、ほとんど目を通していません。

一般書と展覧会図録ぐらいしか参照していませんが、それでも非常に数多くのライオンの図像を見いだすことが出来ます。

さらに、グリフィンやスフィンクスなど、ライオンを構成要素とする合成神獣まで含めて考えると、際限が無いと言って良い程の数になります。

ライオンを構成要素とする合成神獣は一旦脇に置いて、ライオンそのものの図像の古いものをいくつか例示してみましょう。

○ライオンの頭をかたどったスタンプ印章

ウルク後期のBC3500BC3100年頃。白色大理石製。ライオンの顔面のみを表現していて、裏が印章になっている。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年)

○アシュモールパレット

BC3200BC3000年頃。石製。上エジプト、ヒエラコンポリス出土。多くの模様が浮彫りになった化粧板で、ライオンのほかグリフィンと思われる浮彫りがある。

(「グリフィンの飛翔」林俊雄 2006年)

○テル・ウカイルの彩色神殿

BC3000BC2900年頃。壁画の中にライオン。文章のみでの紹介で図版が無いので、姿は不明。

(「古代メソポタミアの神々」岡田明子・小林登志子 2000年)

○獅子形品

ジェムデット・ナスル期のBC29BC28世紀。白色貝製。伏せたライオンを丸彫りしたもの。

(「古く美しいもの」中近東文化センター 1993年)

○ウル・ナンシェの銘の入ったライオンの半身像

BC2500BC2450年頃。オニッキス製。テロー出土。伏せの状態の上半身が丸彫りされている。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年)

Photo ○供物台

BC2600BC2350年頃。スーサのアクロポリス出土。側面に2段に分かれて紋様が描かれ、上段にライオンの浮彫りがある。下段は鷲。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年 写真の引用元も同じ)

○円筒印章

BC2500BC2400年頃。テロー出土。印面の図案にライオンが鹿を襲う図柄。

(「メソポタミア文明展」図録 2000年)

こうした円筒印章の図柄には、数多くのライオンやグリフィンの姿が見られます。

Photo_2 ○テラコッタ獅子

アッカド王朝のBC2340BC2185年頃。蹲踞するライオンの全身像。
(「古く美しいもの」中近東文化センター 1993年 写真の引用元も同じ)

写真を見る限りではたてがみがあるのかどうかはっきりせず、何をもって≪獅子≫としているのかは不明ですが、この姿は時代は全く異なるものの、日本の瀬戸などで制作された陶器製の狛犬を連想させます。

 

以上のように、紀元前2000年以前のものだけを抜き出しても、宮殿の壁画から印章や護符などの小物まで、様々なバリエーションがあります。

この時点までに、いわゆる古代オリエント地域の人々の生活に、ライオンの図像が広く、深く定着していたことがわかります。

一方、東アジアに≪獅子≫が出現するのは、中国の漢代(BC202220)だと考えられているので、数千年もの差があることになります。

狛犬の源流をユーラシア西方に求めるのは、当然ということになるでしょう。

2007年9月 3日 (月)

野生のライオン

まずは生物としてのライオンについて考えてみます。

ライオンというと、私たちはアフリカのサバンナを思い浮かべます。

しかし、実際には、アジアにもライオンが生息しています。

アジアのライオンは、現在、野生のものはインド・グジャラット州のギルライオン保護地区を中心に数100頭が生息しています。そのため、アフリカライオンとは区別してインドライオンと呼ばれています。

しかし、かつては西アジアを中心に、ギリシャなどヨーロッパ南部から南アジアにかけて広く分布していました。そのためアジアライオンとも呼ばれます。

そして、この地域は、メソポタミア文明やインダス文明など、人類文明の発祥地と重なり合います。

ライオンは地上の食物連鎖の頂点に立つ存在です。

同時に、狩猟採集段階の人類にとっては、獲物を奪い合うライバルでもあり、農業と並ぶ人類の重要な食糧確保の手段である牧畜・遊牧においては、家畜を襲う敵ともなります。

当然、人類はライオンに恐怖心や敵対心を抱いていました。

そうした畏怖の気持ちが図像化に結びついたのでしょう。

ユーラシアの古代文明において図像化されたライオンは、このアジアライオンです。

アジアライオンとアフリカライオンにはそれほど大きな違いはありませんが、アジアライオンの方が雄のたてがみがやや短く、その反面、たてがみが首から腹の方まで続いているとされます。

その特長は、有名なバビロンのイシュタール門に続く「行列道路」の壁面に彩釉煉瓦で表現されたライオン像BC580年頃)にも見ることができます。

2007年9月 2日 (日)

源流検討のポイント

さて、まずは狛犬を以下のように定義しました。

狛犬は、神聖な場所や存在に対して、左右2体を1対として設置される神獣で、ライオンを祖先とし、厳密には獅子と狛犬に分類できる。多くの場合、一方が口を開き、他方が閉じる『阿吽』の形態をとる。

この定義を前提に狛犬の源流を考えるとすると、ポイントは以下のようになります。

A)野生のライオンの生息域とその地におけるライオンの図像化の状況。

B)神聖な対象と2体1対の神獣の組合せの成立と展開。

やや先回りして言うと、日本を含む東アジアには野生のライオンは存在しませんから、Aの項目に付随して

a)ライオンの東アジアへの伝来のあり方。

ということが想定されます。

また、Bの項目に付随して、定義の中に残したこと、つまり、

b)1対の神獣を異なる2種類の神獣で構成したり、口の開閉で区別をつけるという形式の有無。

も検討課題として挙げられるでしょう。

以上を念頭において、以下、狛犬の源流について考えてみます。